古市古墳群を歩く(その2) [百舌鳥・古市古墳群]
土師ノ里駅~鍋塚古墳を後にし、次に向かったのは仲姫皇后陵(なかつひめこうごうりょう)古墳。
前回の最後の画像で鍋塚古墳から臨んだのがこの古墳です。途中、咲いていればさぞかし見事だったろうと思わせる枝垂れ桜を過ぎ、数分で仲姫皇后陵古墳に着きます。近いですね~。たしかに「群」だわ。立派な堀ですが、古墳は堀を掘った土を盛り上げて造るのだそうです。
前回の最後の画像で鍋塚古墳から臨んだのがこの古墳です。途中、咲いていればさぞかし見事だったろうと思わせる枝垂れ桜を過ぎ、数分で仲姫皇后陵古墳に着きます。近いですね~。たしかに「群」だわ。立派な堀ですが、古墳は堀を掘った土を盛り上げて造るのだそうです。
次は古室山(こむろやま)古墳。ここは桜がとてもきれいで、実はバーベキューの穴場だったりする。この古墳も上に上ることができ、そこからの見晴らしはとてもよく、この日は霞みながらもあべのハルカスがよく見えました。
この微妙なうねりが何とも言えない・・・・このうねりが古墳好きにはたまらないのだそうですよ。
以下の満開の桜の写真は、ちょうど1週間前の3/31に撮影したものです。この1週間のずれがね・・・・残念でした
次の衝撃的な古墳は赤面山(せきめんやま)古墳。今回の古墳ウォークで私が最も感銘を受けたといっても過言ではない 古室山古墳とほぼ隣接しています。いわゆる倍冢(ばいちょう)。
冒頭に「高度経済成長時代に潰された古墳がある」と書きましたが、実はこの古墳はその時代を生き残った古墳。何と高速道路の真下にあるのです。この小さな陪冢が生き残った理由は、古墳として登録されたのが昭和31年で、高速道路(西名阪自動車道)が制定されたのは昭和37年(開通は昭和44年)だったという歴史に他なりません。
道路を作るにあたってここのみ橋脚が作られず、スパンが長く取られています。もちろんもう一方の側には橋脚があります。これって、すごくお金がかかることなのです。
また側道も、古墳を避けるためにこの部分だけが出っ張らざるを得ず、こんな線形を取っています。
この側道は私も何度も走ったことがあり、何でこんなトコにカーブがあるんや?と常々疑問に思っていました。これで長年の疑問が解けました。この古墳はパッと見は工事で出た土を盛ってあるだけとしか見えないので、まさかこれが古墳とは思いもしませんでした。ただ、よ~く考えてみれば、工事で出た盛り土なんて撤去すれば終わりの話で、わざわざ道を曲げさせてまで、橋脚を飛ばしてまで残すほどのものではありません。そこには何らかの深い意味があるはず、くらいのことはちょっと考えればわかるものなのに・・・・ダメですね、何も考えないってのは。反省しました
大鳥塚古墳。稜線の微妙なカーブが美しい前方後円墳です。さきほどの古室山古墳と同じですね。
さて、これが本日のハイライト、古市古墳群最大の応神天皇陵古墳です。前回紹介した仁徳天皇のお父さんの古墳。面積では仁徳天皇陵に譲りますが、積み上げた土の量は仁徳天皇陵を上回り、見方を変えればこちらこそが世界最大の墳墓であるのです。世界でも五指に入る大きさだったと記憶しています。
ちなみに仁徳天皇のご母堂=応神天皇の皇后は、この稿の最初に紹介した仲姫皇后です。このお三方は、日本、いや世界屈指の墳墓に祀られているのだと思うと感慨深いものがあります。そしてその力の大きさも。
宮内庁の事務所もありますよ~(ちなみに陵墓脇の宮内庁の事務所は全国でも6か所しかないそうです。これはその内のひとつ)。
そしてこんな川の脇の散歩道を歩き・・・・
花などを愛でながら・・・・
相当な大きさの応神天皇陵の外壕も見学して・・・・
昼食は羽曳野市役所にて。大きな会議室でも借り受けているのかと思いきや、あにはからんや、外での食事でした(持参したお弁当)・・・・。正直寒かった
【つづく】
2018-05-10 21:31
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コメント(2)
わかります。
>この微妙なうねりが何とも・・・
私の場合は土の城跡ですが。塁上を歩いたり、掘割を歩いて左右を見上げたりしてると何ともタマリません。1枚めの堀の写真、サイコーです。
反面、天守閣や白亜の櫓は見向きもしない私です。
それにしてもデカい古墳ですね。群馬にはこれだけの規模の古墳あったかな~。
重機が無い時代の土木工事、凄いです。
by 船山史家 (2018-05-11 08:07)
史家さん
GWに行った仁徳天皇陵は広さで世界NO.1、この日に行った応神天皇陵は盛った土の量ではその仁徳天皇陵以上。百舌鳥・古市古墳群はことほど左様に巨大古墳が集まる地域なんです。
是非一度お越しください。
尚、大坂夏の陣の道明寺合戦はこの辺りで行われました。
by ヒロ (2018-05-11 23:16)