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麺屋 一刃の新メニュー [ラーメン]

私の住む大阪南東部、いわゆる南河内地方の小さな都市、藤井寺にできた新店、麺屋一刃さんについては以前にも触れました。結構濃厚系の鶏白湯を出す独立系の小さなラーメン店。その濃厚さが少~しくどく感じられ、一通りのメニューをいただいた後は、自身が鶏白湯に飽きたこともあって「まあいいや」、という感じで候補から外れることが多かったのですが、最近になって
・メニューが大幅にリニューアルされ、あっさり系が追加された
・つけ麺、まぜ麺がレギュラー化された
・大盛の設定ができた
・麺が自家製麺になった
との情報が入り、それなら一度行ってみるか、ということで妻と2人で訪問。

外観は以前の記事をご覧ください。まったく変わっていません。
http://nanishiteasobo-hiro.blog.so-net.ne.jp/2017-06-25

これも新しくなった点。着席すると、なんとおしぼりが供されました。

通常、小料理店やきっちりしたレストランならともかく、ラーメン店でおしぼりなんてまず出されることはありません。私の知る限り、せいぜい紙おしぼりがセルフサービスであるくらい。それが、こんなきっちりした形で、しかも熱いヤツが出るなんて、ほぼ前代未聞です。ラーメン好きにはちょっと感動モノでした[かわいい]
1.ラーメン店には珍しいおしぼり.JPG

これが大幅に変更されたメニュー。
鶏白湯専門だったラーメンメニューに「鶏清湯」の醤油と塩が、さらにつけ麺とまぜそばが追加されました。
2.変更されたメニュー.JPG

テーブル調味料。コショウは2種類。ゴリゴリと挽く「あらびき」と、粒の微細なよくある「拉麺胡椒」。それに、つけ麺用と思われる七味。餃子用にはタレとラー油。
3.テーブル調味料(胡椒2種類).JPG

店の奥には製麺室が新設されていました。
4.製麺室新設.JPG

待つこと数分で着丼。私は麺(大)にしています。+100円。前はたしか大盛の設定自体がありませんでした。
5.鶏清湯-醤油.JPG

まずは期待の大きい鶏清湯スープを一口・・・・ちと醤油がキツめだ。二口・・・・鶏の旨み? 三口・・・・カツオだな、これは。
なかなか美味いスープですな~。これまでの南大阪のラーメン店にはなかった味です。
スープをいただいてみてまず感じたこと。それは
「ようやく南河内もここまできたか」
ということ。

大変失礼ながら、南河内には「これ[exclamation]」というラーメンがなく、半分あきらめていた部分もあったのですが、麺屋一刃さんの鶏清湯にはこれまでとは違うものが感じられました。
ただ、あえて少しだけ言わせていただければ、「清湯」を名乗るのであればもう少し醤油を抑えめにして、もっとダシの旨みを前面に出せばいいのではないか。
普段あまりラーメンを食べない主婦である妻が店を出てからポツリとこぼした「ちょっと辛いな」の一言は、核心を突いていたと私は思います。

チャーシューは濃厚な味付けの豚バラブロックとあっさりした鶏肉。厚めにカットされたこの両極端な味付けのチャーシューは、スープとよく合っていました。
6.厚みのあるブロックチャーシュー.JPG
7.鶏肉のレアチャーシュー.JPG

メンマは以前は穂先メンマだったと思うのですが、今は何の変哲もない、フツーのメンマに変わっていました。個人的には比較的斬新な前のメンマが好きだったけど、これはコスト的な麺、じゃなくて面が考慮された結果かもしれません。

麺は平打ち風の、時間が経っても延びにくい高加水麺。大盛の新設定はラーメン好きの私は嬉しいんですが、自家製であるなら麺人ばろむ庵さんのように大盛り無料にしてほしかったかな。
8.フツーのメンマと高加水麺.JPG

それにしても、なかなかに美味しい醤油ラーメンでした。これが塩ならどうなのでしょう。十分期待できます。近いうちに試してみたく思います。そのときを楽しみに待ちましょう[るんるん]

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マイルドな味噌、らーめん春友流 [ラーメン]

ここは奈良市の三条通りの西の方。
東へまっすぐ行けば、世界遺産の春日大社に至り、逆方向の西へ向かえば阪奈道路を経て大阪に辿り着く、東西をつなぐ街道の要衝ともいえる地点。そんなビルの一角にらーめん春友流さんはあります。
詳しい場所は【コチラ】(←クリックどうぞ)  

以前は煮干系ラーメンのひのき屋さんがありました。私は2度ほど行っていますが、店はよく覚えているものの、味の記憶はさほど鮮明ではありません。まだあまり煮干系に興味のない時期の訪問でしたし。

ところで春友流さん、以前は横浜市西区にお店があったとのこと。調べてみると、住所は「横浜市西区戸部本町38-7」となっていました。(船山史家さん、ご存知ですか?)

何せ横浜→奈良への移転ですから、かなりの遠距離。常連さんが動ける距離では当然なく、結構な冒険であったろうと思います。ちなみに奈良はご主人の奥さまの故郷とのことです。
今回はラーメン部の久々の活動となり、ブラックホールの胃袋を持つK君の真紅の新車でお店に向かいました[車(セダン)]

外観。
1.外観.jpg

こちらはお店イチオシの味噌らーめんの紹介。普段味噌らーめんは滅多に食べない私ですが、ここでは味噌しか頭にありませんでした。お店に入ってすぐ左の券売機で「味噌らーめん」、「大盛り」、「ぜんぶのせ」をポチッ[exclamation]
790円+100円+200円で計1,090円と大台突破です。ちなみにK君はこれに小ライスを喰ってます。
2.ほぼ専門店.jpg

テーブル調味料。右端の小さな壺はおろしにんにく。私は最後の方でちょびっと投入して味変を楽しんだつもりですが、ちょっとタイミングが遅かったです・・・・。
3.テーブル調味料(右はにんにく).jpg

私たちを追い越すように急ぎ足で入ったサラリーマン風の若者(←コイツ、明らかに私たちを意識してましたね。絶対に先に入ってやるという意識が全身からみなぎっていました)の分を先に作ったので私たちのラーメンは明らかにタイミングが遅れましたが、まあ着丼。
4.大盛・全部乗せ.jpg

肝心のスープはどうか。まずは一口。これはかなりマイルドですな~。私はこの味は好きです。味噌らーめんを食べたくなったらココ、というくらいには好きな味(自宅からは遠いですが)。あの田所商店よりはこっちのほうが好きだな[黒ハート] 田所商店のスープがかなり美味いのは十分認めますが、どうしてもあの無理矢理なご当地感が好きになれない私。

さて、味噌というと若干辛めな要素があるのですが、スープの色からも想像がつくように、辛さは全くというほど感じられません。実にマイルド。もっとも、メニューに「辛い味噌らーめん」があったので、辛いのが好きな人はそちらをどうぞ、ということなのでしょう。

ぜんぶのせの内容は、レアチャーシュー1枚、煮玉子1/2、きくらげ、モヤシ、玉ねぎ、カイワレがそれぞれ増量されたもの。これで+200円は明らかにお得です。でも量的なことを言えば私にはちょっと多かった。麺大盛は要らんかったかな~(^^; 
厚みのあるレアチャーシューは美味かった。肉を喰らっているという感覚でした。尚、チャーシューにかかっている(乗っている)のは一味唐辛子とショウガですが、スープに溶かせると一味唐辛子の味はほぼ感じられず、生姜の香りがほのかに残る程度でした。
5.肉の旨みのレアチャーシュー.jpg
6.厚みもあります.jpg

煮玉子はスープで温まったのを最後の方でパクリ。隣りのミンチ肉も味噌らーめんらしい。
9.味玉とミンチ肉.jpg

カイワレは爽やかさを演出し、
8.カイワレも.jpg

きくらげは独特の歯応えを(中国産ならちょっと引くけど・・・・[ふらふら])、
7.たっぷりキクラゲ.jpg

チャーシューやカイワレに隠れていたのがモヤシと玉ねぎ。シャキシャキした歯応えが柔らかな麺と相まっていい感じです。
10.隠れていたモヤシ.jpg

着丼した際にはトッピングに隠れてその姿が見えない麺ですが、トッピングが比較的冷めているのに対し、かなりの熱々でした。ちょっとびっくりしたくらいには熱かった。おかげでトッピング類をスープで温めても、最後の方まで熱めのスープを楽しむことができました。これはいいことですね。
11.直送の麺.jpg

ちなみに麺は札幌の西山製麺の高加水麺。
12.西山製麺ですね.jpg

なかなか伸びにくいのが特徴で、最後の方までシコシコした食感が楽しめましたよ。ただし、味噌ラーメンによくある縮れ太麺ではなく、地方性でしょうか、やや細めの麺でした。
なかなかに美味しい味噌らーめんでした。奈良に限らず大阪にも美味しい味噌らーめんのお店は多くありませんが、ここはかなりの“当たり”だと私は思います。

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古市古墳群を歩く(その3) [百舌鳥・古市古墳群]

お弁当でお腹を満たした後は、羽曳野市役所の南にある古墳へ移動。わずか2~3分で到着したのが向墓山(むこうはかやま)古墳。これはその案内板。この古墳の南にある墓山古墳の倍冢です。
52.向墓山古墳案内板.jpg
53.陪塚ですね.jpg

墓山古墳。これも大きいです。古市古墳群5番目の大きさ。古市古墳群は圧倒的に前方後円墳が多いのですが、この墓山古墳もその例に漏れない。古墳時代中期の典型的な古墳とのことです。
54.墓山古墳.jpg
55.その案内板.jpg

この小さな倍冢は野中古墳だったかかな? もう、ホントにすぐ近くに、普通に住宅があります。
56.浄元寺山古墳.jpg

野中宮山古墳。公園と隣接していて、桜並木は近所の方の憩いの場となっているそうです。
57.その案内板.jpg
58.野中宮山古墳.jpg

中央やや左のくびれは、前方後円墳の丸と三角の接点。こちらはその形が象徴的。
59.仲哀天皇陵古墳.jpg

[右斜め下] これはアイセルシュラホールという、藤井寺市の文化施設。もちろん「修羅」をイメージしたもの。というかそれそのもの。ようこんなものを建てたな、と考えて調べてみたら、やはりバブルのあだ花でした(苦笑)。・・・・4枚目の全体像はwikipediaより拝借。
60.アイセル修羅ホール.jpg
61.よくもまあ.jpg
62.こんなもん作ったもんだ.jpg
77.アイセルシュラホール.JPG
63.修羅の使い方.jpg
64.巨大古墳の類型と変遷.jpg

ここでトイレなどをお借りしつつ、次の割塚古墳へ。この古墳ウォークもそろそろ最終盤に入りつつあります。
65.陪塚の割塚古墳案内板.jpg

で、最後のハイライトは仲哀(ちゅうあい)天皇陵古墳。ここは古市古墳群3番目の大きさ。仲哀天皇は、(その2)で紹介した応神天皇のお父上。つまり、仁徳天皇の祖父にあたるお方です。
66.中哀天皇陵古墳.jpg
67.その案内板.jpg
68.宮内庁案内.jpg

前方後円墳のあのくびれが周囲の散策道から伺えます。このカーブも古墳好き垂涎らしい。これは古墳西側の画像です。くびれの箇所がよくわかりますね。
69.カーブが美しい.jpg

少し歩いて辛國(からくに)神社に到着。裏から入ったので本殿まではすぐ。
70.辛國神社.jpg

藤棚の藤の花がほぼ満開でした[ぴかぴか(新しい)] この薄めの紫色・・・・上品でよろしいですね~[るんるん] 藤の花には個人的な思い入れがあって、私は大好きなのです。
71.藤棚がきれい.jpg
72.藤の花.jpg
73.稲荷さん.jpg

この鳥居。大きな特長があります。わかりますか? 私は言われてみて初めて、ははぁ~~と納得。
(もっとも普段はそんなにまじまじと見ないけど・・・・(^^;)
74.この鳥居が凄い.jpg

それは、左右とも木を接いでいること。見事な出来栄えとでもいいますか、結構自然な感じでした。宮大工さんの腕、おそるべし。
75.接ぎ木されてます(右の柱).jpg
76.左の柱.jpg

そしてこの参道は大阪みどりの百選というものに選ばれ、それ以来参拝客が増えているそうですよ(No.63)。
http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/25974/00195639/hyakusenn.pdf

このあとは葛井寺(ふじいでら)という西国三十三観音霊場第5番札所でもあるお寺がゴール。そのあと、近くの藤本雅一酒造醸でお酒を試飲~解散となりました。


8km+αの古墳巡りのウォーキング。歩いては止まって説明を聞き、の繰り返しでかなり疲れましたが、でも行ってよかった[わーい(嬉しい顔)] 普段は歩かない道を歩き、そこにあるのは知っていても何ら興味も抱かなかった古墳を知り、名前を教えられ、自分の生まれ育った土地にあらためて愛着を感じました。
一度歩いてみるだけで、本当に街の印象はガラッと変わります。クルマで通りかかって、「あ、ここを入ったらあの古墳に着くんだ」と思うだけでも全然違う。本当に行ってよかったです。

よし、次はGWの間に堺の百舌鳥古墳群を歩いてみるか[exclamation×2]
でも、調べてみると(古市古墳群にもあるらしいですが)古墳群巡り用にレンタサイクルもあるとのことです。しかも電動アシスト付き。これはいいな。天気のいい日に必ず行こう。

その際はまた紹介しますので、よろしくお願いします。

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古市古墳群を歩く(その2) [百舌鳥・古市古墳群]

土師ノ里駅~鍋塚古墳を後にし、次に向かったのは仲姫皇后陵(なかつひめこうごうりょう)古墳
前回の最後の画像で鍋塚古墳から臨んだのがこの古墳です。途中、咲いていればさぞかし見事だったろうと思わせる枝垂れ桜を過ぎ、数分で仲姫皇后陵古墳に着きます。近いですね~。たしかに「群」だわ。立派な堀ですが、古墳は堀を掘った土を盛り上げて造るのだそうです。
25.仲姫命陵古墳の堀.jpg
26.同案内板.jpg

次は古室山(こむろやま)古墳。ここは桜がとてもきれいで、実はバーベキューの穴場だったりする。この古墳も上に上ることができ、そこからの見晴らしはとてもよく、この日は霞みながらもあべのハルカスがよく見えました。
27.古室山古墳を上る.jpg
32.結構、急.jpg
33.なかなかにシンドイ.jpg
35.彼方に見ゆるあべのハルカス.jpg
36.古室山古墳案内板.jpg

この微妙なうねりが何とも言えない・・・・このうねりが古墳好きにはたまらないのだそうですよ。
34.この微妙なうねり.jpg

以下の満開の桜の写真は、ちょうど1週間前の3/31に撮影したものです。この1週間のずれがね・・・・残念でした[ふらふら]
28.1週間前の満開の桜(1).jpg
29.1週間前の満開の桜(2).jpg
30.見事でした、.jpg
31.本当に.jpg

次の衝撃的な古墳は赤面山(せきめんやま)古墳。今回の古墳ウォークで私が最も感銘を受けたといっても過言ではない[がく~(落胆した顔)] 古室山古墳とほぼ隣接しています。いわゆる倍冢(ばいちょう)。37.赤面山古墳.jpg
38.衝撃的です.jpg

冒頭に「高度経済成長時代に潰された古墳がある」と書きましたが、実はこの古墳はその時代を生き残った古墳。何と高速道路の真下にあるのです。この小さな陪冢が生き残った理由は、古墳として登録されたのが昭和31年で、高速道路(西名阪自動車道)が制定されたのは昭和37年(開通は昭和44年)だったという歴史に他なりません。
道路を作るにあたってここのみ橋脚が作られず、スパンが長く取られています。もちろんもう一方の側には橋脚があります。これって、すごくお金がかかることなのです。
また側道も、古墳を避けるためにこの部分だけが出っ張らざるを得ず、こんな線形を取っています。
39.側道を曲げさせました.jpg

この側道は私も何度も走ったことがあり、何でこんなトコにカーブがあるんや?と常々疑問に思っていました。これで長年の疑問が解けました。この古墳はパッと見は工事で出た土を盛ってあるだけとしか見えないので、まさかこれが古墳とは思いもしませんでした。ただ、よ~く考えてみれば、工事で出た盛り土なんて撤去すれば終わりの話で、わざわざ道を曲げさせてまで、橋脚を飛ばしてまで残すほどのものではありません。そこには何らかの深い意味があるはず、くらいのことはちょっと考えればわかるものなのに・・・・ダメですね、何も考えないってのは。反省しました[もうやだ~(悲しい顔)]

大鳥塚古墳。稜線の微妙なカーブが美しい前方後円墳です。さきほどの古室山古墳と同じですね。
40.大鳥塚古墳の….jpg

41.微妙なカーブが美しい.jpg
42.大鳥塚古墳案内板.jpg

さて、これが本日のハイライト、古市古墳群最大の応神天皇陵古墳です。前回紹介した仁徳天皇のお父さんの古墳。面積では仁徳天皇陵に譲りますが、積み上げた土の量は仁徳天皇陵を上回り、見方を変えればこちらこそが世界最大の墳墓であるのです。世界でも五指に入る大きさだったと記憶しています。

ちなみに仁徳天皇のご母堂=応神天皇の皇后は、この稿の最初に紹介した仲姫皇后です。このお三方は、日本、いや世界屈指の墳墓に祀られているのだと思うと感慨深いものがあります。そしてその力の大きさも。43.古市古墳群最大.jpg

44.応神天皇陵古墳.jpg
46.応神天皇陵案内板.jpg
47.その一部と現在地.jpg

宮内庁の事務所もありますよ~(ちなみに陵墓脇の宮内庁の事務所は全国でも6か所しかないそうです。これはその内のひとつ)。
45.宮内庁の事務所もある(全国6か所のひとつ).jpg

そしてこんな川の脇の散歩道を歩き・・・・
48.川沿いを歩く.jpg

花などを愛でながら・・・・49.きれいな花の木.jpg
50.これ、何の木?.jpg

相当な大きさの応神天皇陵の外壕も見学して・・・・51.応神天皇陵古墳外壕外堤案内板.jpg

昼食は羽曳野市役所にて。大きな会議室でも借り受けているのかと思いきや、あにはからんや、外での食事でした(持参したお弁当)・・・・。正直寒かった[ふらふら]

【つづく】

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古市古墳群を歩く(その1) [百舌鳥・古市古墳群]

4月7日土曜日。
藤井寺市の観光ボランティアが主催する、古墳巡りのウォーキング会があると聞き、妻と二人で参加してきました。一度に披露するとかなり長くなってしまいますので、3回に分けて紹介したいと思います。
3.チラシ(上).JPG
4.チラシ(下).JPG  


当日は朝9~10時の間に受付とのことで、「間に合うたらエエわ」とのんびりと家を出た私たちは9:30過ぎに集合場所である道明寺天満宮の境内に到着。ちょうどすぐ前で先着順で貰えていたタオルがなくなってしまい、ちょっと残念な思いをしました(ーー)。
5.道明寺天満宮へ.jpg
6.集合場所.jpg

200円/人の参加料を支払って受付を終え、約15人ほどで設定された班単位で、10時前に集合場所兼最初の案内地である道明寺天満宮の案内から古墳巡りはスタートしました。

この日の天候は前日までと打って変わって非常に肌寒く、暑さ対策を施した服装で参加した私には結構堪えました。ジャージではなくGパンならもっとマシだったし、上に羽織る服もジャケット状のものにしておくべきでした。薄手のダウンを着て参加している人もいたくらいですから、私の服装は完全に選択ミスでしたね(TT)。結局、常に寒さと戦うような1日になってしまいました。

ここで百舌鳥・古市古墳群について簡単に説明します。
皆さん、世界で最も大きなお墓って、①誰のもので ②どこにあるかご存知でしょうか?

・・・・・・

ご存知の方も多いと思いますが、答えは
①仁徳天皇
②大阪府堺市
です。

そのお墓、仁徳天皇陵は百舌鳥古墳群の中核をなし、その仁徳天皇陵から東へ約10km行ったところにあるのが、今回紹介する古市古墳群です。そして私は、この古市古墳群を含めた南河内で生まれ育ちました。今もその南河内に住んでいます。
古市古墳群には、築造に必要な土量が日本一を誇る応神天皇陵古墳をはじめ、多くの古墳が残っています。少なくとも130基の古墳が6世紀中ごろまでに作られたそうですが、現在ではその多くが、「保全」という認識が形成されるまでのいわゆる高度経済成長時代に潰されて道路や住宅になりました。(その証拠となる古墳があとで出てきます)

大阪府の中の百舌鳥・古市古墳群と、それぞれの古墳群の大まかな位置関係。
ちなみに、百舌鳥古墳群の中の、「三国ヶ丘」とある駅の西側にあるのが世界最大の墳墓、前述の仁徳天皇陵です。
1.大阪府の中の百舌鳥・古市古墳群.JPG
2.百舌鳥と古市の位置関係.JPG

さて古墳巡りです。
ちなみにこの行事は、平成31年度の世界遺産登録を目標としている「百舌鳥・古市古墳群」の中の、藤井寺地域の古墳を中心に、観桜とともに歩き巡ることを目的とするものです。すべての古墳を廻るのではなく、徒歩コース内の選ばれた古墳巡りといった位置付け。

スタートは前述の道明寺天満宮。学問の神様でもある菅原道真を祀るこの社は、南河内地域に住む学生、受験生の多くが訪れるところ。春は梅の名所でもあります。

[右斜め下] これは「落ちない梅の木」とのことで、その名も常成梅。多くの合格祈願のおみくじが括り付けられています。「落ちない」梅の実の生る木ですからね。
7.落ちない実の梅の木.jpg
8.これがその木.jpg

ね、実が生っているのがわかるでしょ(ピントは1個にしか合っていませんが・・・・)。
9.その実.jpg

こちらは「修羅(しゅら)」のレプリカ。「修羅」とは、大きな石(石垣の石など)や大木などを運搬する道具のことで、そりの一種。築城の様子などを描いた絵にはまず間違いなくこの修羅を見ることができますね。
10.修羅のレプリカ.jpg

出土した「修羅」の案内板。出土した昭和53年4月というのは、私が高校生になったばかりの時期です。大きな見出しとともに新聞にでかでかと掲載されていたのが、何となく記憶に残っています。
11.修羅の案内.jpg

さて次は道明寺~菅原道真の叔母が住職で、はるか彼方の太宰府に落ちる際に立ち寄ったお寺です。今は散ってしまっていますが、枝垂れ桜の花がとても美しいとのこと。12.道明寺.jpg
13.道明寺縁起.jpg

山門の上には鐘撞きがある、とても珍しい構造。14.山門を裏から見ると….jpg
15.鐘撞きの木がある珍しい構造.jpg

境内に残る桜[かわいい]16花が咲き残る.jpg

花は散っていますが、この椿の木はボランティアのガイドさんお薦め。
この椿の木の葉の先端が金魚の尻尾の形をしており、そのため「金魚椿」と呼んでいるのだそうです。17.椿の木ですが.jpg
18.先端が金魚の尾のよう.jpg

土師ノ里駅前。
「土師」は“はじ”と読みます。古墳時代は、その設計の第一人者として名高い一族。現代では“はぜ”という苗字で残っています。また堺には土師町という地名もあります。
駅名はそのものずばりで、この域内に「土師」という苗字を持つ人々が住んでいたのでしょう。だから「土師(はじ)ノ里」。
改札横のスペースは整備され、古墳の説明コーナーとなっていました。ちなみに現在地は真ん中の写真の「」の位置。
19.古市古墳群の案内.jpg
20.現在地は「i」の場所.jpg
21.すなわち近鉄・土師ノ里駅.jpg

実はこの土師ノ里駅、小高い築山のような場所に造られています。1F部分に改札口があり、プラットホームがあるのは切り割りの底のようなB1F。これって、もしかすると何らかの古墳を切り割って作った駅かも、と思わせるような位置関係にあるのは間違いありません。
駅の真西には、陪冢(ばいちょう)である鍋塚古墳。上に登れます。ホントに道路の脇。この道、旧道とはいえ一応国道(170号)です。22.道路の脇の鍋塚古墳.jpg
23.鍋塚古墳案内板.jpg

向うに見ゆるはこれから行く仲姫皇后陵古墳
24.鍋塚古墳から仲姫命陵古墳を望む.jpg

さて陪冢(ばいちょう)とは何ぞや? 実は私もこの時に初めて知った言葉でした。実際、「ばいちょう」と入力しても変換できない言葉です。一度試してみてください。
調べてみると、「コトバンク」には「倍塚」とあり、
『陪冢とも書く。古墳の一種。大きな古墳のそばにあたかもそれに従うようにつくられている小さい古墳をさす。しかし,陪塚と呼ぶ場合には,規模,内容などの点で主体となる古墳となんらかの関係がなければならず,ただ位置が近いというだけでは判断できない場合もある。これらの陪塚には,死者を葬ったと思われるもののほかに,器物だけを埋納したと思われるものもある。』
とあります。
なるほど、これから巡る古墳にはたしかに陪冢がたくさんありました。この後説明していきますね。

【つづく】

※「倍塚」か「倍冢」か、読みも意味も同じなのですが、この記事では案内板や行政が発行したパンフレットに従い、「倍冢」と記すようにします。でもときどき「倍塚」と書いていることがあるかもしれませんが、その時はごめんなさい。

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