2007年夏 つり橋の里キャンプ場にて (6)その後 [キャンプ]
あと2回書くつもりでいましたが、冗長になりそうでしたので多少端折って1回にまとめました。したがいまして、これで最終回です。あとしばらくだけお付き合いのほどを。もちろんハッピーエンドです(^o^)
当然ながらパンツまでびしょ濡れ Tシャツも水と汗でぐっしょりです ま、ええかとテントサイトに戻ったボクを待っていたのはぬるくなったビール。でもそのぬるさが少しだけ心地よかったですね♪ もちろんその後で冷えたビールを愉しみましたが(^^)
椅子に座り込んで心地よい疲れとともに達成感と充実感に浸っていると、家族がテントサイトに戻ってきました。堤の上であったことなど何も知らぬ様子。
「何かあったん? 救急車が来てたみたいやけど~」
説明させていただきましたがな、一から十まで。
服が濡れている理由も。
「へぇ~、よかったやん。お父さん、頑張ったんやね」
おいおい、それだけかい、妻よ子よ。父親のカッコいいとこ、見とかんかい!
それにボクの話を信じてないようにも見えたぞ(^^;
そのしばらく後、キャンプ場の中を歩いていると、「あ、あの人や。あの人が助けたんやで」という声が聞こえました。振り返ると、見覚えのある三十歳半ばくらいの女性がこちらの方を指差していました。
あ、たしかバスタオルを貸してくれた人・・・・
思わず会釈をしてしまいましたがな(;^^A
後ろ指を指されるのは気分のよいものではありませんが、こういう後ろ指ならいいよな、と思ったものです。
この夜のBBQは特に美味しかったな♪
その後の男性の様子が気になっていましたので、2日後十津川村の診療所等に電話して事情を説明し入院先を聞いたところ、麓の県立五條病院とのこと。えらい遠いな、と思いつつあらためて五條病院に電話してみました。再度事情を説明し、こういう人は入院してるかと聞いたところ、「入院していて命は無事」とのことでした。
ただ、気になっていた後遺症の有無は聞けなかったな。ちょうど個人情報保護法が喧(かまびす)しい時期で、尋ねたところで教えてもらえないだろうとの予想がありましたので。
でも、命が助かってよかったじゃないか! それで十分だ! 役に立てて本当によかった!
長かったボクの経験談もこれで終わりです。
これほどの経験をすることは、もう二度とないでしょう。おそらくは唯一無二であったその瞬間に、貴重な命を救い得ることができて本当によかったと、心からそう思います。
画像も無く文字ばかりで読みづらかったと思いますが、最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
(おわり)
2007年夏 つり橋の里キャンプ場にて (5)蘇生 [キャンプ]
終わりの見えない胸骨圧迫
吹き出す汗
切れる息
蓄積する疲労
そして刻々と過ぎ去る時間・・・・
くそう! たった数分でこんなにバテるのか? もう限界が来やがったのか・・・・?
さっき腹を括ったんは何やったんや? オラ 頑張れ
と・・・・
ゴボゴボという音。・・・・やった、水を吐いた!
「何か白いものが見える」と男性の顔を見た人。
「引っ張り出してください」と応えるボク。
それは白く変色したホルモンの肉片でした。まったく噛まれた跡がないのは、噛まずに飲み込んじゃったから? そして男性は、吐き出した水と数回の咳とともに息を吹き返しました。
「うっしゃぁ~~~!」とガッツポーズ!
周囲からは
「うおおおぉ~!」
「やったぁ~!」という歓声!
よかったぁ~
あとは回復体位(←クリックしてね)をとらせ、背面叩打法で残った水を吐かせ、救急車が着くまで様子を見ることにしました。まだまだかなり荒いですが呼吸も完全に復活、チアノーゼで紫色だった体にも赤みが戻り、剥いていた眼もいつの間にか閉じられています。でも、呼吸が速くてとても苦しそう・・・・そりゃあ、何分間も呼吸が止まっていたんだからそれも仕方ないだろうけど。
ただ、呼吸は戻ったものの意識を取り戻したわけではなく、まだ危険な状態であることは否めません。ここまでくると、もうボクにできることはほとんどありません。そこで、呼吸が少しでも楽になるようにと背中を擦(さす)ることに専念。蘇生した男性の姿を確認すると、見守ってくれていた周囲の人も、一人欠け二人欠けとだんだん少なくなっていきました。 そうこうしているうちにようやく救急車が到着。その少し前にはおっとり刀で警察官もやって来ました。警察官には状況を説明し、その後住所と名前、電話番号を聞かれました。きちんと答えましたが、あとは何の連絡もなかったなぁ(苦笑)。その頃、子供に案内されてその親(つまり男性の息子さん)も走って来られました。奈良県K町のSさんと名乗られました。男性はどうやら親族の数家族でキャンプに来られていたようで、救急車には男性の娘さん(つまり子供の叔母さん)が同乗されて行きました。握手を求められ、丁重なお礼の言葉をいただきました。
最後まで残って救急車を見送ったのはボクと、心肺蘇生を手伝ってくれていた二人だけでした。あとで聞いたらこの二人の職業はなんと警察官と消防士。消防士の人は火を消すのが専門だと仰っていましたが(笑)。ボクがただの会社員だと知って二人とも驚いていましたね。「プロだと思ってた」って。自慢じゃないですよ(~_~;)
現場を去る救急車を見送ったボクは、親切の証である残されたバスタオル類をキャンプ場のフロントに持参し、理由を説明して場内放送をしてもらい、引取りに来てもらうように依頼しました。そして、その警察官・消防士の両氏と固い握手をして解散となりました。
(つづく)
2007年夏 つり橋の里キャンプ場にて (4)圧迫 [キャンプ]
担ぎ上げた堤の上には、すぐに誰かがバスタオルを敷いて簡便な寝床を作ってくれ、まずは男性をそこに寝かせました。(タオルを持ってきてくれる人は多く、すぐに必要十分な数に。ありがたいことです。)
しかし・・・・・・・・・・・・
引き上げたはいいが、ここから先がさてどうしたものかわからない。寝かされた男性の周囲の人々は互いに顔と顔を見合わせ、助けを求めています。声なき声が聞こえます。
「とりあえず引き上げたけど・・・・これからどうしたらええの?」
ここでボクは腹を括りました。
「俺がやるしかない」
男性は白髪で年齢は60歳過ぎ(と思われました)。両目はかっと見開かれ、唇は真っ青、体はどす黒い紫色に変色しており、ピクリとも動かない。呼吸をしているようにも見えない。当然ながら叩いて声をかけても何の反応もない。完全な心肺停止状態。
JCS(←クリックしてね):Ⅲ-300。このまま何の処置もせずに放置すれば命を落とすことは間違いありません。というか、すでに今が水死体状態。
先日習った手順どおり、まずは救急車の手配を依頼。すでに中年女性が携帯電話で連絡してくれていましたが、ここは秘境とも呼ばれる山また山に囲まれた地域、到着まで30分はかかるとのことでした。
ここでボクはもう一度腹を括りなおしました。
最悪の場合、救急車が来るまでの30分、胸骨圧迫(いわゆる心臓マッサージ)をやり続けなあかんと。
(これが胸骨圧迫)
念のため呼吸の有無を再度確認した上で肩の下に丸めたタオルを入れ、頭を後ろに反らせて気道を確保、そして胸骨圧迫を開始しました。経験のある人ならご理解いただけると思いますが、この胸骨圧迫は著しく体力を消耗します。1分間に100回のペースで30回の胸骨圧迫、2度の人工呼吸、これを繰り返します。ひたすら繰り返します。ゴールは見えません。傷病者が息を吹き返すまで延々と繰り返します。息を吹き返すケースは稀と言ってもいいほどの割合。それでも胸を押します。決して諦めずに。
そのうち、周りの会話からこの男性は溺れかけたお孫さんを助けようとして自分が溺れたということがわかってきました。小学校低学年と思しきその子供が、泣きながらそばに立っています。
救急の世界では、心臓停止が3分続くと酸欠で脳細胞が重大な損傷を受け、死亡に至る確率は50%と言われています。橋の上の声を聞いてから少なく見積もってももう4分近くは経っているはず・・・・。
ボクは重ねた両手で胸を押しながら、必死に声をかけました。
「おっちゃん、まだ早いで! お孫さんと遊ばなあかんやろ!」
「戻っといでーや、おっちゃん! まだまだこれからやんけ!」
・・・・・
あかん、呼吸が戻らん・・・・。
(つづく)
2007年夏 つり橋の里キャンプ場にて (3)救出 [キャンプ]
「誰か溺れてる! 助けたってくれぇ~!!」
必死の叫び声は、吊橋を渡る人の発したものでした。上から下を覗き込んだ瞬間、人が流されているのを発見したのでしょう。
その声を聞いた瞬間、缶ビールを椅子のカップホルダーに刺し込んだボクは、猛然と走り出していました。
後になってボクが自分自身を案外冷静だったなと振り返り得たのは、クルマのキーの存在。当時のボクの愛車のキーは赤外線のリモコン式で、濡れるのは当然ヤバイ。走りながらボクは、ズボンのポケットの中にキーが無いことを、手と記憶で確認していました。溺れる人を助けるとなると、少なくとも下半身が濡れることは覚悟する必要がありますからね。
十数秒後、現場到着。 すでに吊橋からの声を聞きつけた人が何人か集まってきていました。そしてその数は増えつつありました。
周囲の視線に倣って上流を見ると・・・・人が流れて来ています。うつ伏せで、水面に出ているのは背中と後頭部のみ。手足は投げ出している感じ。 あえてストレートに表現すると、ドラマや映画で見る水死体そのものの姿。周囲から悲鳴が上がり、居合わせた子供は顔を引きつらせている・・・・。
まずは引き上げないと! 急げ!
ボクはすぐに川に飛び込み(幸いそこは深くはなかった)、同じように飛び込んだ男性数人と協力して、とにかくその人を堤の上(グラウンドレベル)に担ぎ上げました。
キャンプ場のHPからお借りした画像。引き上げた地点辺り。
水の冷たさを感じているヒマもなかったなぁ~~必死でしたから。水の冷たさを感じる余裕はありませんでしたが、ボクが持ったその白髪の男性の右足の冷たさは、今でもはっきりとボクの両手に残っています。
(つづく)
2007年夏 つり橋の里キャンプ場にて (2)発生 [キャンプ]
夏休み中のとある土曜日。快晴 ボクは家族とともに奈良県十津川村の谷瀬の吊り橋の真下にあるつり橋の里キャンプ場を訪れました。来たのは3年連続です。ここが気に入っている理由は、木が多く木陰がたくさんあること。
ね? ホントに涼しそうでしょ♪ (キャンプ場のHPから画像をお借りしました)
それに加え、脇を流れる熊野川の水がきれいなこと、場内に温泉施設があること、などです。中でも一番の理由はやはり木陰の存在ですね。標高が高いだけあって、木陰は涼しくてとても快適です。川面を渡った風が場内を吹き抜けるときは本当に気持ちがいい。残念ながら温泉は広くなく、当たり前ですが混んでいるときは芋の子を洗うような状態。また、洗い場の湯が出なかったりして、決していいとはいえません。シャンプーや石鹸もなし。それでも温泉があるだけマシかな? 汗を流せばそれだけで気持ちいいですしね(^o^) たしかここは源泉掛け流しで、塩分を多く含んだ湯だったと記憶しています・・・・温泉は好きだったけど、今ほどじゃなかった頃の記憶なので曖昧(^^;)。
温泉の画像です。(これまたキャンプ場のHPからお借りしました)
・・・・画像を連結させましたが、ちと小さいなぁ~(嘆) 縮小させすぎたかなぁ~
府県境の山を越え、酷道168号線を経て昼前にキャンプ場に到着したボクたちはテーブルと椅子を出した後、簡単な昼食を摂り、さっそくテントを設営、タープを張り、クーラーボックスやツーバーナーを配置、寝袋をテント内に広げて寝床の準備、その他諸々の作業を終えました。木の葉越しに見える太陽は高さを増し、上空を横切る谷瀬の吊り橋は一方通行に変わっていました(☆)。
テントサイトの準備を終えるとわが家族の面々はテント内で水着に着替え、さっそく川へ。ボクはまだ泳ぐつもりはありませんでしたので、缶ビールをプシュ! 木立とタープに遮られた陽光のもと、至福の喉越しを楽しみました
う、旨い~♪
あ~、極楽・・・・♪ ある意味、この瞬間のために来ているといっても過言ではありませんな
・・・・しかし、ちょうどそのとき、はるか頭上から叫び声が!
「!!! 誰か溺れてる! 助けたってくれぇ~!!」
(つづく)
☆谷瀬の吊り橋は普段は往復できるのですが、渡橋者が増えてくると安全のため国道側からの一方通行に変わり、対岸からはバスに乗って帰ってくることになります。バスは有料:大人200円。歩いてでも帰れますが、この時期は15~20分ほど暑熱地獄に耐える覚悟が必要
2007年夏 つり橋の里キャンプ場にて (1)前月 [キャンプ]
この先しばらく遊ぶ予定がありませんので、先日の川遊びの記事で少し触れた、2007年夏に奈良県十津川村のつり橋の里キャンプ場でボクが体験したことを書き記したいと思います。あれから3年も経っているために記憶に曖昧な部分があり、また自分の語彙の少なさや筆力の不足により現場の緊迫感を伝えることはなかなか難しいかもしれませんが、少しでもその場の空気を感じていただけたらと思います。
内容的に“何して遊ぼ?”的雰囲気とは程遠いものにならざるを得ないのですが、川で遊ぶということにはこういった事態が十二分に起こり得る側面があり(実際に川遊びで命を落とす事故は、毎年十数件、あるいはそれ以上発生しています)、万が一その場に遭遇してしまった場合、皆さんなら何ができるか、どう対処するか、を考える材料にしてみてください。川でなくても、人が倒れるのは例えば駅やスーパー、本屋、そしてボクたちがこよなく愛する温泉など、どこででも起こり得ます。そしてボクたちがその場に立ち会う可能性は、決してゼロではないのです。
その年の春、ボクの勤める会社では、CSR(企業の社会的責任)の一環として国内のほぼ全拠点にAED(自動体外式除細動器)を設置することになりました。今でこそJRや地下鉄・私鉄の駅、役場や体育館など人の集まる場所で多く見られるようになったAEDですが、3年前はAEDの設置が増えつつある過渡期であり、その使用方法を知っている人もそれほど多くはない状況でした。(これは今でもあまり変わらないかもしれませんが)
これが会社に設置されたAEDです。基本的には駅などで見かけるものと同じ。扉を開けると回転灯が回り、ブザー(サイレン?)が鳴って異状を知らせます。
AEDは本体が20万円前後と決して安くはありませんので、扉には封印がしてあるのが普通です。
そんな中、AEDの使用方法を熟知し、社員に使い方を指導できる人材が必要になるだろうとの考えのもと、かつてスポーツ用品メーカーに勤める知り合いの紹介でAEDの講習を受けたことのあるボクがその担当に選ばれてしまいました。もっとも、そのときの所属部署が、それに適切な部署であったことの方が大きいかもしれませんが。
そして取得した資格が「応急手当普及員」。大阪市消防局の外郭団体の職員が講師で、資格取得に3日間の講習を要する指導者育成のための講習です。その有効期間は3年。一応試験もあります。以後3年毎に講習を受講して更新していくことになります。この資格の保有者は、講師として職場や地域の人々にAEDを主とする心肺蘇生の方法を指導し、かつ大阪市消防局に申請して受講者に受講証を授けることができます。
専用の人形相手に「胸骨圧迫」を練習中の大阪市営地下鉄職員のMさん。向こうの方では人工呼吸をやっているのがわかりますか。
講習内容は、もちろんAEDを使った救急救命(心肺蘇生法)が主ですが、他にも止血方法やのどに食べ物を詰まらせた時の処置、三角巾の使い方など、多岐にわたるものでした。座学に色々な実技、人形を使った胸骨圧迫(これは心臓マッサージと言った方がわかりやすいかな)、それに人工呼吸など盛り沢山で1日7時間の講習は結構疲れましたが、何せ内容が人の命に関わるものですし「人に教えることを目的とした講習」ですから、こちらも真剣、教える方も一所懸命です。
ま、3日間の講習を終え無事試験にも合格し、そんなこんなでボクは「応急手当普及員」の資格を取得しました。
認定証の右上に「-2」という数字が見えますが、これは確認したわけではありませんが、受講した講習の回数と思われます。「2期目」といった意味合いでしょうか。
これがこの年の初夏のこと。
(つづく)
十津川で川遊び [キャンプ]
お盆休みもあと3日で終わるというこの日、3年ぶりに十津川の谷瀬の吊橋の直下にあるつり橋の里キャンプ場に、息子と二人で行ってきました。目的は川で泳ぐこと。ちなみに十津川温泉は、ここからさらに新宮方面に向かって約1時間走ったところにあります。
※このキャンプ場には一生忘れることができない強烈な記憶があるのですが、それはまた追々・・・・。
大阪からこのキャンプ場に至るルートは、奈良県五條市を経て国道168号線(以下、R168)。この道は日本最長の路線バスが走る区間としてその筋では有名で、和歌山県のJR・新宮駅~奈良県橿原市の近鉄・八木駅までの約160kmを6時間半かけて走るそうです。谷瀬の吊橋はその途中にあります。今回の走行中、この路線バスとは片道で2回ほどすれ違いました。一人の運転手さんが走破するとのことです。大半が山道、ご苦労なことです
さてこのR168、数年前に道路史に残るような大崩落があり、山が道ごと持って落ちていったというような崩れ方でした。このときの映像は、今でも時どきニュースで流れます(映像が残っていること自体がスゴイ)。木が立ったままの姿で滑り落ちていくさまは、自然の脅威をまざまざと見せ付けてくれます。
画像はその崩落現場。
法面(のりめん=切土や盛土により作られる人口斜面のこと。by-Wikipedia)にはがけ崩れ防止の処理が施され、手前には新しく架けられたR168の橋梁があります。今回は南行き(新宮方面)一方通行で、撮影ポイントは対岸の道路上。つまりこれは帰路の画像です。
今でこそここまで復旧していますが、事故直後の姿はそりゃ凄まじいもので、「崩落」とはかくあるもの、みたいな感じで、どうやって復旧させるんだろう?と思ったものでした。
ちなみにこの崩落現場のさらに奈良寄りですが、そこでは現R168の対岸に道路を作っているところでした。
何年か先には道路地図が書き換わり、走行もかなり楽になるでしょう。
ただ、そのためにどれほどの資金が投入されることやら・・・・。
さて、つり橋の里キャンプ場。 おそらくオートキャンプ場が1年で最も混む日であろうこの日(13日)、予想以上の混雑ぶりでした。
3年前まで3年連続で泊まりで行っていましたが、これほどは混んでいなかった。
泊まりでなくてよかったです、今回は。
めちゃ立派!
吊橋を見上げてパチリ
(上の画像にも写りこんでいますが)
これがウチのサイト。日帰りでしたので、持っていく荷物は最小限に絞りました。定番のBBQもせず、持参のおにぎりとカップヌードルが昼食。
テーブル、椅子2脚、ツーバーナー、これだけです。タープも持参しましたが、いい塩梅に木陰がありましたので、使わずじまい。
左にある青い椅子は誰かが廃棄していったもの。壊れていました。ちゃんと持って帰れよ(怒)
後姿の息子。増水で川の流れは見た目以上に強く、うかうかすると流されかねません。
実際、ボクは流れに耐えられず流されてしまった・・・・
でも、慣れてしまえば楽なもので、浮き輪につかまって流れに身を委ねるのは気持ちよかったですよ
流れる息子。
山間の川の常で、水はとてもきれい。鮎もうようよと泳いでいたそうです(息子談。ホントに鮎かどうかは?)
さて、早めに遊び終えて帰路に
帰りは大塔温泉・夢乃湯に入浴。
キャンプ帰りの人たちで結構混んでいたので、風呂内部の画像はなしです。
山の中に急にモダンな建物が建っていて、ここはふれあい交流館という地域の人たちの憩いの場でもあります。中にはレストラン、土産物店、図書館などがあります。 河畔は川遊びができるように整備されており、小さな子供たちが遊んでいました。河原はこの建物のかなり下にあり、崖の途中に建物があるようなもので、よくこんなところに建てたなぁと、先月のホテル祖谷温泉と同じような感想を持ってしまいました(笑)
入り口は2F。風呂は階段を降りた1Fにあります。
こちらは男湯。
画像はここまで<(_ _)>
お湯はつるつる感があって、気持ちよかったです。露天風呂もありましたが、なんとなくベランダのような感じでしたね。
濃い緑が眼に心地よく、つい長湯してしまいました(^o^)
さ、山越えをして、大阪に帰るかぁ~♪
え? 吊橋の上の画像がないって?
ま、それはそれ、とゆーことで。ちゃんちゃん