先送り [病のこと-2012年-]
先日の会社の健康診断で、体重や腹囲が劇的にダウンしていた旨は報告しましたが、その反面、中性脂肪のみはかなり高い数値を記録しておりました。
その結構な高さにビビった私、再検査のために先週の水曜日にかかりつけ医を訪れ、再度検査を実施。
その結果が出ました。
具体的な数値の公表は差し控えますが、会社の健康診断時よりは半減していたものの、それでもまだまだ標準を大きくオーバーした数値。
しかし、原因がよくわからない。飲みに行くとき以外はプリン体99%カットの発泡酒だし、魚の内臓系も滅多に食べないし、モツもあんまり食べない。焼肉も。
最も気になるラーメンは豚骨系をなるべく減らし、食べるのも週1に自主規制しています。運動も、起き上がり腹筋1日100回はほぼ欠かさず行っていますし・・・・。
お医者さんも首を傾げ、
「ちゃんと気を配っているのに何故でしょうね~?」
などとおっしゃる。
結果、まずは2ヶ月ほど様子を見、2月の半ばに再度血液検査をするということになりました。
これでしばらくはラーメンを食べられるわけですが、それでもコッテリ系は極力避け、塩を中心に食べたいとは思います。
そんな中お気楽な私、今年の〆のラーメンをどこにするか決めました。そう、皆さんの予想通りのお店ですよ~(^o^)
この1年で [病のこと-2012年-]
昨年12月15日に発症した私の病、鬱血性心不全ですが、その副作用として体重が減る、という体の変化をもたらしてくれました。
具体的には、1月の入院時にあった75kgが退院時には68kgまでになっていたのですが、その後もじりじりとダイエットを続け、現在は65kgを維持しています。入院は10日間ほどでしたからほぼ1日1kgペースで減っていったわけですが、主治医によると、肺に水が溜まっていたり、腹水がかなりあった、とのことです。
具体的な変化の数字がこれ。会社の健康診断の数字です。
上の画像は昨年同時期のもの。
・1段目は身長と体重
・2段目は標準体重とBMI指数(肥満指数。詳しくはコチラ:http://www.raku-diet.com/cat_bmi/)
・3段目は腹囲(お腹回り=メタボ判定)
ちなみに「*」印は正常値をオーバーしていることを示しています。
それが、今年の11月13日(健康診断日)ではこうなっていました
体重で約10kg、腹囲で約16cm減りました。
腹囲は、さすがにこれだけ減ると昔のズボンがはけるようになり、きつくなりつつあった礼服やスキーウェアも余裕で着用できるようになりましたよ
身長が4mm縮むというのは?ですが、靴のサイズも少し小さくなったことを思うと、まあこんなものなんでしょう
そのほかの数字も結構改善されていたのですが、ただひとつだけ、中性脂肪が異常に高くてですね・・・・
これは要検査ということでしたので、先日別に用事もあったので会社を休んで血液検査のために医者に行ってきました。
結果が出るのは来週。
でも・・・・これでヤバかったら、もしかするとラーメン禁止?
今日で発症1年 [病のこと-2012年-]
今日は12月15日。2012年もあと約半月になりました。
今年はアタマから大変な年でした。しかし、思えばそれも昨年の今日、12月15日が始まりで・・・・
ちょうど1年前の12月15日の深夜、私の病が発症したのです。
今でもはっきり覚えています、この夜のことは。
就寝中に急に胸がしんどくなって息が切れて・・・・あの時救急車を呼んでおけば1月になって倒れることはなかったでしょう。
ちょうど息子の受験前で、3月に結果がはっきりしてからきちんと治療しよう、それまでは我慢しようと考えたのが素人患者の浅はかさ、センター試験の数日前に救急車で搬送されるという“大失態”を演じてしまいました
息子はその後、無事志望校に合格して事なきを得ましたが、これでセンター試験の結果が悪かったりしたら、私は一生後悔したかもしれません。
今は本当に元気で、まったく普通の生活を送っています。(薬は飲んでいますけどね)
もっとも、入院をきっかけに落ちた体重をさらに落として、現在は入院前から-11kgの64kgを維持すべく自分に食事制限を課しています。大好きなラーメンもこの関係で週1に自主規制。
12月15日。あれからもう1年。元気になった自分に、元気にしてくれたお医者さんに、見守ってくれた家族に、そして応援してくださった皆さんに感謝感謝
27年ぶりの体重 [病のこと-2012年-]
キタ~!
1月にうっ血性心不全で倒れて10日ほど入院。
入院時から8kg減の体重67kgで退院し、その後適度に節制しつつ(ラーメンは食べていましたが(^^;)、起き上がり腹筋毎日100回以上をほぼ欠かさず、じりじりと体重を落としていきました。
しかし、筋肉をつけながら体重を落とすというのは、これがなかなか難しいもので、67→65kgまで落とすのに数か月かかり、いくら頑張っても(いや、そんなにギンギンには頑張ってなかったけど^^;)ここ最近は65kgあたりをウロウロして全然減らないので、私も結構イラつき気味になっていることは否定できませんでした。
ところが今日、体重計に乗ってみると・・・・その前にね、「減っている」という前兆はあったんです。
これは今朝初めて感じたこと。
それは、靴が大きくなったことです。正確には靴が大きくなるわけはなく、足が小さくなったということ。
実は1月の退院時にも同じように感じたんですよね。当然ながら入院中はずっとスリッパを履いていて、約10日ぶりに靴を履いたわけですが、ゴソゴソになっている感じがたしかにしました。
それと似たような感じが今朝したんです。
おっと、これはちょっと期待できるんとちゃうか・・・・
で、帰宅後すぐに乗ってみました、体重計に・・・・
・・・・!!
え? まさかここまで・・・・ 64kg台くらいかなと思っていたら、一足飛びにここまで来ていました。
63kg台だなんていつぶりなんでしょ? 私、学生のときは今と同じような身長でずっと59kgだったんです。
それが社会人になるやいなやあっという間に太ってしまって、それ以後はずっと60kg台後半~70kg台前半を行ったり来たりしていましたから(MAXは入院直前の75kg)、一時的にしろ63kg台なんて、ほとんど27年ぶりですわ
それにしても、いきなり一気にここまで減るもんでしょうか。かえって心配になったりして・・・・(苦笑)
さて私の体重はこれからどこまで減るのでしょうか。
とはいえ、もうそろそろいいかな、という気はしています。
一応、標準体重のすぐ近くまでは来ましたし、軽いにしろ筋トレをしながらこれ以上減らすのはもうしんどいのではないかと・・・・反面、維持するだけでも大変なんだろうとも思っています。
美味しいものも食べたいしね~(爆)(←これが一番の理由)
腹筋用座椅子 その後 [病のこと-2012年-]
それはないだろう・・・・ と思った1枚のハガキ
私が腹筋運動用に座椅子を購入したのは今年の2月のこと。
(前回記事はコチラ→http://nanishiteasobo-hiro.blog.so-net.ne.jp/2012-02-22)
その時のお値段は12,800円でした。
おいおい、一気に3,000円近くも安なってんのかいな・・・・
大阪人は、いいものを安く買うことに情熱を覚えます。もはやこれはDNAといっていい(笑)
「これ、〇〇〇円で買うてん~」
「へぇー、ええ買いもんしたやんか」
「そうやろ。うまいこと安なっててん」
こういう会話は、今日も大阪のあちこちで交わされたことでしょう。
がしかし、その逆パターンに出会った時の衝撃は深く大きいものがあります。同じものが別の店で安くなっていたら、また数日経って値下げでもされていれば、そのときの悔しがりようは尋常ではありません。
「こないだ買うたアレ、昨日見たら100円安かってん・・・・」
「えぇ~、ホンマかいな」
「ホンマ、もうちょっと待ったらよかったわ あー、悔し
」
というわけで今回のハガキで私も悔しい思いをしたのですが・・・・
でも、ある友人がこう言ってくれました。
「そりゃあ〇〇さん(私の本名)、その3か月の間にかなり腹筋運動をやったんでしょ」
はい、やりました。酔っぱらってでもないかぎり、毎日100回は必ず。
今でも欠かさずやっています。
「それならその間は十分価値があったということですよ。3,000円分くらいは十分にね」
なるほど、そういう考え方もありますね。たしかに、今の私の腹筋はかなり硬くなりました。
(ただ、贅肉はなかなかとれませんな~ いまだ、十分につまめるくらいの肉が残っています。こやつを無くすにはダイエットで燃焼させるしかなさそうです)
ちなみに体重も65kg台をキープしています。
こういう現状を見ると、やはりあのとき買っておいてよかったということでしょう。
ちょっと悔しいのは確かですが、ハガキを見るとこの商品『じつは腹筋くんライト』は、すでに27万台が売れているそうです。通販の世界におけるこの数字がどの程度のものは私にはわかりませんが、ヒット商品といってもまず差支えないでしょう。
今の私には大変有意義な座椅子であることは間違いありません。
定期検診 [病のこと-2012年-]
こんにちは。大阪はいい天気です。陽ざしが暖かい。ニュースで見る東京とはえらい違いです。
今日、会社を休んで定期検診に行ってきました。退院後、初めての通院です。
予約をしていても総合病院の常でかなり待たされる、薬が出る近くの薬局でも待たされる・・・・結局時間が読めないので、診察含むもろもろは半日ほどで済むのですが、会社は1日休まざるを得ません。遠いしね。
今日も朝からクルマで病院へ
採血~心電図~レントゲン、といつものコースを経て11時過ぎに診察開始(予約は10:30でした)。
結果はまずまず良好でした。
ただ、尿酸値とコレステロールが高い、とのこと。尿酸に関しては薬も飲んでるし、飲む発泡酒は「プリン体99%カット」、ってやつなんですが、う~ん、なかなか下がりません
で、一番気になっていた心房細動なのですが、やはり出ていました
調子がよかったし、もしかするとなくなっている?という期待もなくはなかったのですが、まあそううまくはいきません。
主治医からは再度のカテーテルアブレーションを勧められています。2週間ほどの入院が必要なので受けるかどうかは・・・・。できればもう入院はしたくないし。私としてもよく考えねば。
ちなみに体重は67kg台をキープしています 腹筋運動も欠かさず実施中。
帰宅後、入試の前期試験が終わって少々虚脱気味の息子を連れてラーメンを食べに行ってきました。彼は塩ラーメン、私はつけ麺。うん、やっぱり美味かった(^^)
記事は後日書く予定です。
腹筋用座椅子 [病のこと-2012年-]
先日の記事(http://nanishiteasobo-hiro.blog.so-net.ne.jp/2012-01-29)で、腹筋を鍛えてEXILE・HIRO氏の『腹筋6枚割れ』を目指す、と宣言したのを覚えておいででしょうか。
その目標を完遂する方策の一環として、ミズノ製の座椅子を購入しました。
その名も「じつは!腹筋くん Light」。通信販売のジャパネットたかたにて購入(^^)
なんやねん、その名前は!って突っ込まないでね(笑)
届いたのは、思っていたよりでっかい縦長の箱。こいつを開けると・・・・おぉ~
組み立てる必要もなく、単に置いて背もたれを起こすだけ。
使い方も単純で、この腿パッドの間に太ももを挟んで起き上がるだけ。
取扱説明書にはトレーニングガイドも併記してあり、5段階での鍛錬を推奨していましたが、私はすでに最終段階レベルでした(ちょっと自慢・・・・)。
さっそく、テレビを見ながらこれを使って起き上がり腹筋をやりはじめました。
さて、これからどれほどの成果が出るでしょうか。
継続は力なり まずは毎日欠かさず続けることが大事ですね。
でも・・・・まだまだ弛んでんな~~~(^^;
なかなかあの頃の腹筋に戻るには時間がかかりそうです(笑)
これから~(病のこと その9) [病のこと-2012年-]
この心臓、幸いにも交換が必要なほど弱ってもいないため、これからず~っと付き合わなければなりません。ま、無理をかけず、気を配りながら労わってやりたいと考えています。
【薬】
長い付き合いになるでしょう。
血をサラサラにする薬(※)、心臓を強くする薬、利尿剤、尿酸値を下げる薬など、現在朝食後に7種類、夕食後には1種類の薬を飲んでいます。今後の回復次第ですが、これからは薬は手放せなくなるでしょう。今回、勝手な自己判断で薬を止めて、命まで危うくする羽目に陥ったんだからこれはもう反省せざるをえません。医師の指示を守り、厳守していきます。
(※・・・以前も今も「ワーファリン」という薬が定番なのですが、主治医の勧めで私は最近認可されたばかりの新薬を服用。ワーファリンは納豆との食べ合わせがNGなのですが新薬はOK。しかしこれは、納豆を食品として認めていない私には全く関係のない話)
【治療】
当分は様子見。とりあえず1~2ヶ月に1回痛飲し通院し、①心電図 ②血液 ③レントゲン ④血圧 の検査を行います。そして不整脈がそれでも続いているようであれば、3年前に受けた“カテーテル・アブレーション”(コメ欄でhidechanさんが解説してくださいました)の手術を再度受けることになるでしょう。その際には約2週間の入院がまた必要になります。
【食事】
病院食を参考にしています。
朝はご飯、味噌汁、軽いおかず一品。
昼は会社の食堂で低カロリー食(食堂ではそんなものも提供してくれるのです)。
夜は基本的に家で軽めの食事。以前はわりと腹一杯に近いくらい食べていましたが、現在はおかわり厳禁としています。慣れてしまえばそれで何とかなるもんです。でも、家の米は自家製の天日干し米。病院の米とは比べものにならないくらい美味いんだよな~(^^;
【冷え性】
8kg痩せてからなりました。以前は感じなかった、歩くだけで足が冷たくなってしまう感触。 会社で指先が冷たくてパソコンのキーを叩きにくい感じ。「体質の変化」とでもいいましょうか。今、そういうものを実感しています。
だから、体力云々よりも冷たさが原因で「歩く」のがきつくなってしまい、したくてもちょっと運動はきびしい感じです。単に歩くだけで足が冷えきっていくのは、結構つらいものです。
【ラーメン】
hidechanさんにもご指摘いただきましたが、こってり系は避けたほうがよさそう。
もっとも、最近はあっさり魚介系に魅かれていますので、これはクリアできるかな(笑)
量としては、多くても週1杯以下に限定します。これは以前までのペースと同じなので問題なし(^^)
実際にはさらに少なくなるだろうと思います。
【体重】
現在の67kgの維持。もしくはさらなる減量を目指そうと思っています。
というわけで、まずは目標を65kgに定めました。言うだけならタダですから(爆)
【腹筋】
ちなみにEXILEのメンバーは6枚割れが基本なのだそうですね。
どれ、どうせなら私もやってみよっかな EXILEのメンバーには四十代の人が一人いて(社長?)、たしか名前が「HIRO」。東京のHIROにできて大阪のヒロができないってこともあるまい(笑)
痩せてたるみの出た私の腹筋ですが、高校山岳部時代は割れていたんです。五十の誕生日を目標に、一丁『腹筋6枚割れ』を目指すとしますか
なに、目標はおもしろい方がやり甲斐があるってもんです。
【お酒】
控えます。止めるのはたぶん無理だし。今はキリンの発泡酒『淡麗W』、プリン体99%カットというアレです。入院前はほぼ毎日飲んでいましたが、今は1日おきくらい。退院後は焼酎は飲んでません。豊さんにボトルキープしてんだけど、どうしよ・・・・?(ま、何とかなるわな)
【スキー】
実はこれが気になっておりまして(^^;
というのは、早割りリフト券を購入しておりまして、行かなければ全くの無駄になってしまう・・・・。
勿体ないですよ、2枚で6,200円払ってますから。
しかし、ドクターストップがかかれば諦めざるを得ない。
退院前におそるおそる主治医に尋ねました。
「先生、スキーはやっても大丈夫です?」
するとあっさり
「いいですよ」
全然問題なし、といった風情で軽く言われまして、
「イインデスカ、ホントウニ?」
と思いつつもホッとした次第です
ただ今年は、アグレッシブな滑りは封印し、斜面なりのスムーズな滑降を心掛けようと思っています。
休憩もたっぷりとってね♪
皆さま、いろいろとお励まし、ありがとうございました。今は本当に元気になりました。
12/16以降、肉体的に苦しい日々が続き、年末年始などそれに風邪が加わってかなりひどい状況だったのですが、意識をなくしてから9日間の入院で、それらの日々が嘘のように今は回復しました。
病院の先生、看護師さん、救急車の担当の方、妻、子供、同僚、そして励ましてくださった皆さまには、心からの感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
(この稿、おわり)
退院まで~(病のこと その8) [病のこと-2012年-]
10日(火)の夜緊急入院し、退院は当初の予想より1週間近く早い18日でした。
服用した薬が効能どおりの効果を発揮したのが要因だったようです。
入院後の動きを書きますと、
・11日(水):終日ICUにて安静
・12日(木):午後一般病棟に移動
・13日(金):安静(以後、毎日シャワーOK)
・14日(土):1回目の検査(血液&肺のレントゲン)・・・・経過良好
・15日(日):安静・・・・17日に再検査をして経過が良好なら翌18日退院と告げられる
・16日(月):安静
・17日(火):2回目の検査(血液&肺のレントゲン)・・・・経過良好
・18日(水):午前退院
「安静」とは言っても、じ~っとベッドで寝ているだけではなく、ヒマはヒマなりに、実際にはトイレにも行き、体重を計りに行き、お茶を汲みに行き、シャワーも浴び、本も読みと、アクティブとは言えないにしろ、多少は動くようにはしていました。
そうでもしておかないと、退院後にしんどい思いをしなければならないのが目に見えていましたからね。何せ1日休んだ後20日(金)には出社するつもりでいましたから。23日(月)から出社していきなりフルスロットルではそれこそキツイと考え、金曜日に1日だけ出社して体を少しでも慣らそうという魂胆でしたが、正解だったと思います。
携帯電話を持っていましたので、外部の友人たちとメールのやり取りもできました。
(電池切れになった際は焦りましたが)
皆さん一様に驚かれていましたが、私にとっては皆さんの励ましが大きな力になりました。
この場を借りてお礼を言いたいと思います。
本当にありがとうございました。
今は本当に楽になりました。年末年始の、寝ることが恐く感られじたあの苦しみがまるで嘘のようです。ちょっと歩くだけで息が切れていたのに、今はまったく平気です。
私に限らず、病と闘っている人は数多くおられます。
難病、奇病、ケガ・・・・
皆さん、力の限り闘っておられます。
私には応援することしかできませんが、似たような体験をした者として心の底からエールを送りたい。切にそう願っています。
入院生活~(病のこと その7) [病のこと-2012年-]
結局10~18日の9日間の入院生活だったわけですが、とにもかくにもヒマ。
安静+利尿+減塩食が条件なので、やることがない。TVも同じような番組ばかりだし、見るだけで疲れてきます。
唯一楽しめたのが、たしか日曜日に放映された『インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』くらいだったか。周囲が寝静まった中、一人でベッドの布団にくるまって観てました。やっぱおもしろいね、インディ・ジョーンズのシリーズは♪
あとは体重を計るか、トイレに行くか、本を読むか。本は、この時とばかりに池波正太郎の『真田太平記』に挑みました。ちょうど産経新聞で書評を読んだところで、そろそろ再再再読(?)をしたいな、と思っていたところでしたから、語弊はあるけどちょうどいい機会。妻に家から持ってきてもらい読み始めました。結局、4巻の途中までしか読めませんでしたが、退院後の今も読み続けています。
完璧にコンディショニングされた院内の気温は25.5℃に統一され、まるで常春の世界。
パジャマ1枚で歩いても寒さを感じません。病院から1歩でも外に出るとおそらく酷寒の世界であるはずなのに、その気配すらありません。何だか申し訳ないような気分になります。
集中治療室(ICU)から出たあとの6日間は、これまた語弊があるかもしれませんが、本当にのんびりした日々でした。ベッドは寝心地がいいし、背もたれは電動で立ち上がるし、食事も上げ膳据え膳。食後のお膳はさすがに廊下まで運びましたが(笑)
病院食は、3年前に入院したときより随分味が良くなっていました。担当者がインタビュー(?)に来られたのでそういう感想を言うと、嬉しそうな顔をして
「ありがとうございます。実は塩の量を、以前は“薄ければいい”としてとにかく控えていたのを、使える範囲内で最も多くしたんです」とのこと。
たったそれだけでこんなにも違うものか。ちょっと感心しました。同時に、塩の量って本当に味の基本を成すんだな~と。
それでもね、私の名前プレートの横に書かれていたのは
「心臓食3 軟菜★減塩 米飯150g 牛乳」・・・塩分は6g未満なのだそうです
もの足りん、のは仕方のないことです。贅沢言える立場ではありません(苦笑)
牛乳は美味かったですな~♪ 唯一通常生活とつながっているような気にさせてくれたし。
ここで、とある1日のメニューを例としてあげてみましょうか。
ちなみに米飯150gは、茶碗に軽く1杯といったところです。
(朝食):451kcal
・米飯 150g
・味付け海苔
・卵の味噌汁
・白菜の煮物
・牛乳 200ml
(昼食):601kcal
・米飯 150g
・さわらの生姜煮(ホウレンソウ)
・炒り豆腐(減塩)
・酢の物(軟)
・しろな和え物(減塩)
・さつま芋のレモン煮
(夕食):517kcal
・米飯 150g
・ささみくず煮
・コンソメ煮
・ミモザサラダ(サウザンドレッシング)
・メロン
これで、1日当たり
・エネルギー 1,569kcal
・たんぱく質 76.7
・脂質 29.7
・炭水化物 239.6
・塩分 5.6
なのだそうですよ。
診断結果~(病のこと その6) [病のこと-2012年-]
『不整脈の再発によるうっ血性心不全』
これが手術~精密検査~再診断の結果でした。
「うっ血性心不全」についてはこちらをどうぞ→http://health.goo.ne.jp/medical/search/10240200.html
ここに書かれている症状やその後の治療方法など、いちいち心当たりがあるもので、特に呼吸困難に関するくだりなど、全くこの通りの症状でした。
(それにしても「高齢者」って・・・・)
不整脈を発症したのは確か30代前半。現在49歳ですから、もう15年以上も前のことになります。
当時はそんなに深刻な状態ではなく、「発作性」とのことで時々にしか不整脈が発生しない、ごく軽いものでした。
これが慢性化したのが2004年の名古屋→大阪に転勤した後。仕事でかかる負担が増大したのが最も大きな要因でしたね。
その後不整脈完治のために手術を受けたのが3年前の秋でした。船山温泉に行く1ヶ月前のこと。
この時は完治しました、間違いなく。心電図も綺麗なものでした。
今回それが再発したわけですが、原因は完全に私の油断。これしかありません。
完治にかまけて「もう大丈夫だろう」と薬を勝手に止めてしまったがそもそもの始まりだったと思います。
術中に指摘された胆嚢炎は、安静+1日半の絶食でほぼ収まり痛みも消えたため、治療の方針は心不全に絞られました。クリニックでの点滴中ずっとつきまとっていた左肩甲骨裏側の痛みは、骨・筋肉系の痛みだったと結論付けられましたし、とにかく不整脈を低減させようというのが治療の大方針となりました。
ただ、不整脈の根治はなかなかに難しく、春~夏頃、再度“カテーテル・アブレーション”の手術を受ける必要があるかもしれません。これは今後の定期検診の結果次第ということになります。
体重激減~(病のこと その5) [病のこと-2012年-]
このグラフを見ていただきましょう。
入院前からの私の体重の変化を示すグラフです。
1/9に体重計に乗ったときには、私の人生最高の75.3kgになっていました。
次に体重計に乗ったのは、ICUを出て一般病棟に移った12日夕方。11日の絶食の効果もあり、このときすでに73kgに落ちていました。
あとはご覧のとおり、右肩下がりに体重は落ちていきました。
理由は、カロリーを押さえた病院食と共に、利尿剤であったと教えてもらいました。
私の体重が年末からどんどん増えていったのにはやはり理由があり、お腹回りと共に肺にも水が溜まっていたのだそうです。だから利尿剤を使って溜まった水を体外に出すのが重要であり、実際に体重減には大きな効果がありました。何せほとんど1kg/1日ペースで落ちていきましたから
結果、退院するときの体重は66.7kg。何とマイナス8.6kg 2ℓのペットボトルが4本強
一体どれだけ余分な水分と肉が付いていたことか・・・・。
はいていたGパンはブカブカ、ベルトの穴がひとつ小さくなり、心なしか足のサイズも小さくなったような気がします。
気になる体重は、さっき計ってみたら67.0kg! うんうん、今のところは何とか維持していますね。
この調子で頑張りますぞ!
センター試験~(病のこと その4) [病のこと-2012年-]
クリニックの段階から、常に気になっていたのが14~15日に行われたセンター試験でした。
これまでも何度か書いてきていますが、ウチの長男は高校3年生。この春は大学受験です。センター試験はその大事な第一段階。
私は何があっても絶対に子供の足を引っ張ることはしたくなかった。体の不調を自覚しつつもクリニック止まりで精密検査を受けようとしなかったのは、春までは平穏においてしてあげたい、余分な神経を使わせたくない、という意識がかなり働いていたのだと思います。
なのにこんなことになってしまって・・・・。
搬送中も、術中も、その後の入院生活の中でも、ず~っと、常に気になっていました。前日に病院から電話して「3年間をぶつけて来いよ」と激励したものの、親父が入院してるっていうのはそれなりのプレッシャーになったことだと思います。
ったく、父親としての責任を果たしてないですよね
情けない父親です
緊急手術と緊急入院~(病のこと その3) [病のこと-2012年-]
私が搬送された病院は、3年前に不整脈の手術(“カテーテル・アブレーション”といいます)を受けた病院。これはクリニックの先生が把握していましたので、病院を指定しての搬送となりました。
(急な搬送を受け入れてくれた病院にも感謝です)
搬送され、手当てと検査を受けている間、連絡を受けた妻が掛け付けてきました。私がクルマをクリニックに置いていましたので、妻は一旦自転車でクリニックへ行き、そこからクルマに乗り換えての移動。
病院では緊迫の時間でした。
朦朧としつつも一応は意識がありましたので、今でも大体は覚えています。
手術は、本来はいろんな検査の結果行うのがセオリーなのですが今回はそれどころではない。
心電図の波形は乱れに乱れ、一刻を争うような状態だったようです。
駆けつけてきた妻、横たわる私のそばで医者が言ったのは
「緊急手術を行います。具合が悪ければ最悪のケースも考えられます。もちろん私も目の前で逝かれるのは見たくないですし、全力を尽くします」
というもの。
その後妻は「術中に何かあっても文句は言いません」というような宣誓書にサインをさせられていたようです。
私だってまだ逝きたくはない。やり残していることは山ほどあるし、子供に対する責任もある。絶対に死なへんぞ、と心に誓いましたよ、マジで。
そして緊急手術が始まりました。21時ごろだったかな。
術中に執刀医から言われたのは
「心不全を起していた形跡があります。しんどくなったことがあったでしょ」
おそらくそれが12月15日だったんでしょうね。酸素マスクの中からその日のことを言うと
「はっきり覚えてますね。たぶん、そのときでしょうね」
翌日~翌々日が飲み会でしたから、覚えていました。
(手術中はずっと意識はありました。そのほうが患者からいろんな情報が得られていいのだそうです)
術中、エコーを見ていた医者から胆嚢(たんのう)が腫れていると指摘されました。
「胆嚢炎」
そんな病気知らんで(ーー)
でも検査は嘘をつかない。指で押されたその箇所に激痛が走り、そのときはやはりそうだったようです。
そして手術は無事終わりました。
私はストレッチャーに乗せられて集中治療室(ICU)に移動したのでした。
よかった。とりあえず命はあった・・・・
クリニックにて~(病のこと その2) [病のこと-2012年-]
10日(火)。
3連休明けながら朝から気分は優れず、会社には出たものの定時で帰ってきました。
そして思うこともあって、血液検査をしてもらおうと近所のクリニックへ。
そこで待っている間にさらに気分が悪く、息切れも激しくなり、ついに点滴を受けることになりました。
と、今度は左側肩甲骨の裏側に痛みが。これがどんどんひどくなり、痛み止めの薬を口に入れてしばらくしたところ異変が発生、私は意識を失ったのでした。
意識を失っている私の目に広がった世界は、一面プラチナ色~白金色の硬質な世界。
ただ、意識の中であっち側に渡るとまずい、こっち側にいるべきというイメージだけはありました。
今から思えば、あれが「三途の川」だったのかも、としか思えません。
「行ったらまずい」と思うのとほぼ同時に、私は目覚めました。クリニックとはいえ周囲は大騒ぎになっていました。私もこの時ばかりはもうぐったりしており、完全になすがまま。
結局「救急車を呼んでの緊急搬送」という仕儀になったのでありました。
この間、ぐったりしつつも覚醒後はずっと意識がありました。
予兆~(病のこと その1) [病のこと-2012年-]
昨年の12月。忘れもしません、15日(木)。
今から思えば、この日の夜が始まりでした。
夜中、急に息苦しくなって目が醒めました。
妻によると、しょっちゅう呼吸(いびき)が止まっていたそうですから、自己診断は「睡眠時無呼吸症候群」。
誰が見てもそう思いますよね。実際、かかりつけ医(先日書いたクリニック)の意見もそうでした。
息苦しさはそのうち収まったし、この日、結局救急車とかは呼ばずじまい。呼んでおけばよかったのかもね、今から思えば。
長く太り気味でしたので、かかりつけ医からは
「痩せるように。それだけで症状は著しく改善しますよ」
簡単に痩せられれば苦労はしないんですがね
しかし、残念ながら調子はほとんど上がらず、感覚的には悪くなる一方でした。
年末年始は風邪と相まってもう最悪。ろくに食べられない。なのに、なぜか体重だけは増えていく。
・・・・食べてないんやで。せやのに何で体重が増えるねん!?
通勤でも会社でも、ちょっと歩いたらすぐ息が切れる・・・・。夜中に息苦しさで目が覚める。疲れも溜まりやすい。どう考えてもこれはおかしい・・・・。
この間、心臓にかかっていた負担はかなりのものだったと思われます。言ってみればその都度私の心臓は悲鳴を上げていたのかもしれません。
ただの風邪ではないな、というのは感じていました。それを認めるのが怖かっただけで。
そして、運命の10日がやってきます。
体重は過去最高の75.3kgまで増えていました(9日測定)。