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百舌鳥古墳群を歩く(その3) [百舌鳥・古市古墳群]

さて、GWの百舌鳥古墳群の記事に戻ります。これで一旦は最終回。古墳巡りはまだ終わっていませんので、その都度また紹介していきたいと思います。・・・・でも実は古墳って景色自体はホント代わり映えしないんですけどね(^^;

現在地はこの辺りです。あと4分の1くらいですね。

50.もうすぐ正面.jpg

こちらは大阪女子大学の跡地ですね。府立大学と合併して無くなってしまった大学です。いい所に建ってたんだ・・・・。
51.大阪府立大学と合併しました.jpg

倍冢です。銅亀山古墳
52.小さな倍冢.jpg
そろそろ終点=拝所が近い。あと350m。ここは西南の角なので、この数メートル先を左折。
53.左折後は真っ直ぐ歩くのみ.jpg

あ、木々の間から内側の堀が見えました。なかなか見えなかったので何か新鮮。
54.木々の間に.jpg
55.向こうの堀が見えた.jpg

あと50m。
56.あと50m.jpg
57.拝所が見えてきた.jpg

正面の直線箇所を西から東に歩いて正面の拝所に到着です。
60.何とも言えない.jpg
61.独特の.jpg
62.雰囲気.jpg
63.絶対にこれがあるな~.jpg
64.伝説ではない日本のかたち.jpg

東側の外堀をパチリ[カメラ]
65.拝所東方向.jpg

そして来し方の西側を振り返ってパチリ[カメラ]
66.拝所西側の堀.jpg

仁徳天皇陵の形状がよくわかる模型。前方後円墳になっている部分は3段になっているとのこと。
68.こんな段差があります.jpg

ちなみに埴輪は3万体近くが埋葬されていたようです。
(ただ、このレプリカがそうだとは限らない。顔がオモシロすぎるので[わーい(嬉しい顔)]
69.周囲には.jpg
70.埴輪が3万体近く.jpg

倍冢の孫太夫古墳。仁徳天皇陵配所の真南にあります。ちゃんと堀もあります。
67.倍冢の孫太夫古墳.jpg

ふたつの天皇陵を歩いてくるとけっこう疲れました。妻のスマホの万歩計はすでに2万歩をカウント。歩くことにかけては多少タフな私も少々疲れてきた。ということは妻はもっとしんどいはず。足の長さが違う分、妻の方が歩数は多い筈ですから。
ということで、今回は古墳散策はここまで。

で、前述通り昼食は妻のリクエストの神座のおいしいラーメン。中央環状堺店で。場所は【ココ(←クリックどうぞ)。巨大ゲームセンター(Round-1)の1F。

ところがですな、いつもの「おいしいラーメン」が約150円値上がりしていたんです[がく~(落胆した顔)] 少なくとも2017年4月にいったときは545円でした。しかし今回は650円[exclamation] ただし中盛(麺1.5倍=通常のラーメン店の大盛。神座の“大盛”は麺2倍)が+100円と普通のラーメン店並みになっていました(前回、中盛は+185円だった)。

つまり、中盛(普通のラーメン店の大盛)が750円と、ここは+20円の値上げにとどまっている。並盛だと大幅値上げだが、中盛だとほぼ据え置き、とこういう価格設定になったわけですね。
(価格はすべて税込み)
71.おいしいラーメン中盛.jpg

う~ん、ラーメン店もここまで図体が大きくなると価格設定が難しいでしょうね。もちろん全店舗統一価格というのはあり得ないと思いますが、わずか10円の差でも日本全国全店舗集めれば大きな違いになって表れてくる。
セットメニューを充実させて、サイドメニューを増やして、またトッピングに多様性を持たせて利益を上げようとしても、おそらくは一番の売れ筋であった『おいしいラーメン』を大幅値上げをすることが会社全体の利益を大きく押し上げるという、そういう判断だったのでしょう。あるいは元々の価格設定(545円)自体がサービス価格であったという面も多分にあるでしょうが。
この大幅値上げが経営にどう影響するのか、今後の価格設定に違いが出るのかなど、ちょいと注目して行こうと思います。

最後にちょっと脱線してしまいましたが、最初にも触れました通り、第1回目の百舌鳥古墳群巡りはここで終わります。今回廻り切れなかった反正天皇陵古墳やニサンザイ古墳、いたすけ古墳などは次回に行きたいと思います。

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百舌鳥古墳群を歩く(その2) [百舌鳥・古市古墳群]

さて、スタート直後にあったのがこれまた陪冢の収塚(おさめづか)古墳。雑木林にしか見えない・・・こともない(笑)
25.収塚古墳.jpg
26.その位置と.jpg
27.解説.jpg

そこから北へ歩を進めていきます。ここはちょうど南西の角部分。
28.仁徳天皇陵南東の角部.jpg

暑い。・・・・風があっても暑い[ちっ(怒った顔)]

それにしても同じ風景が続きます。当たり前ですが(苦笑)。見えるのは3重になっている外堀だけですからね。考えようによっては、メチャメチャ退屈な散歩(笑)
29.外堀沿いを歩く.jpg

外見、というか見栄えを良くするために、邪魔になるような木は伐採したのだそうです。これはその痕跡。これを見る限り、ほぼ真横に木が伸びていたようですね。
30.木が伐られてます.jpg

おお~、「古市」の文字が。この看板、よく見かけました。もちろん古市古墳群でも。
31.これは至る所に.jpg

西高野街道とも呼ばれる道。この近辺を起点に、奈良の五条まで続く国道310号線がそれです。その五条から幾重もの山を越えると着くのが高野山、そして熊野古道。
32.西高野街道.jpg

と、この道標からすぐの場所にラーメン店が[exclamation×2] う~ん、そそるけど、食べるにはまだちょっと早いし、それに何より今日の昼は妻のリクエストで神座の「おいしいラーメン」に決まっちゃっているのです。
33.ラーメン食べたい!.jpg

振り返ると・・・・
35.何となく振り返る.jpg

仁徳天皇陵の外周は約2.8km。コースのところどころに、このような現在の位置(拝所を起点とした距離とそのポイント)を示す道標が建っています。これは大変わかりやすくありがたい。
34.わかりやすい現在地図.jpg

これはどうやら堀の取水口のようです。堀に棲息する亀が気持ちよさそうに日向ぼっこをしていました。奈良の猿沢池を思い出します。
36.取水口ですな.jpg
37.亀が甲羅干し中.jpg

片側3車線の幅の広いこの道は大阪の大動脈、大阪中央環状線こと府道2号線。
38.府道2号大阪中央環状線.jpg
39.わかりやすい看板やな~(^^;.jpg

道の向こう側には永山古墳
40.道路の向こう側には永山古墳.jpg

そして例の現在地石碑。いつの間にか中間点を越えていました。ちなみに私たちは右へ進んでいます。
41.半分以上は来た.jpg

何か高そうなステーキ店があるぞ。徳庵というお名前。
42.和風のステーキ店.jpg

民家を改造したような造りが魅力的ですが、ただ、ランチで最も安価なメニュー(コース)で3,000円は微妙。外観で感じた以上に敷居が低いような、でも日頃ラーメンを好んで食する私には「1食で4杯分かいな」と躊躇わせるような・・・・。

こういう逡巡の際に便利な言葉としてあるのが
「たまにはエエやろ」
というものですが、それでもしかし私がここに入店することはまずないでしょうね(笑)
43.安いのか高いのか.jpg

こういうお店、夜はさぞかしお高いんだろうな~とあらためて感じてググってみたら、
https://r.gnavi.co.jp/rg5p3fxr0000/menu1/

4,800円(税抜)のコースからでした。存外リーズナブルなのかも。

さて、ルートに戻って歩を進めます。
44.3分の2は過ぎた.jpg

この感じ、いいですね[ぴかぴか(新しい)] 雨が降って堀の水位が上がると、ここから排水するようになっているようです。
45.あふれた堀水はここへ.jpg
(それにしても・・・・こんなトコに落書きしやがって[むかっ(怒り)] 自分のセンスのなさを呪え、ボケが[爆弾]

水仙の花がきれい。壁にぶらさがるように咲いているこの花も可憐だ[かわいい]
46.花に挟まれた道.jpg
47.可憐だね~♪.jpg

歌碑がありました。どうやら百人一首のようです。
48.歌碑もあります(1).jpg
49.歌碑もあります(2).jpg

【つづく】

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百舌鳥古墳群を歩く(その1) [百舌鳥・古市古墳群]

GW後半戦の真っただ中の5月4日[かわいい]
気持ちよく晴れ上がるも風の強い休日に、先日の古市古墳群に続き今度はその西側にある百舌鳥古墳群に行ってきました。世界最大の仁徳天皇陵を中心に、大小さまざまな古墳が集まる地域。
レンタサイクルもありますが、今回は風が強かったために被っていた帽子が飛ばされる恐れがある、という理由で歩いて回ることにしました。

連休中だし、かなり混むんじゃないかとの予想があったため、早めの朝9時過ぎには仁徳天皇陵南側(正面にあたる)にある「仁徳御陵駐車場」に到着。駐車場はまだガラガラで、うまい具合に木の下の日陰に停めることができました。もちろん太陽の動きは計算しました。戻ってきた際もまだ日陰にあり、車内は計算通りに暑くはなっていませんでしたよ。
1.9時半はガラガラ.jpg
2.案内図.jpg
3.この中のみを今日は歩いた.jpg

案内書で地図などをもらい、ここを起点にして、緑豊かな大仙公園内の道を、ランニングをしている人たちとすれ違いながら歩を進めます。

目標は履中天皇陵古墳。仁徳天皇陵の南にある、百舌鳥古墳群の中では2番目の大きさ。そこへ向かう途中、公園内にも小さな古墳が散在。すべて陪冢でしょう。
これはそのうちのひとつ旗塚古墳。小さいですけど前方後円墳です。
4.倍冢の旗塚古墳.jpg

公園内の小道のすぐ脇。
整備された広い歩道を西へゆくと履中天皇陵古墳が見えてきます。
5.整備された歩道.jpg

こちらは最近建造されたビューポイント。3段ほどは高くなっており、たしかに古墳を展望するにはいいあんばい。さっそく上ってカメラを向けてみる。
6.ビューポイント.jpg

[右斜め下] ビューポイントで撮影したのがこの1枚[カメラ]
7.そこから撮影.jpg

金網にも切り込みがあり、網を気にすることなくここから撮影できるようになっていました。

古墳の周囲には実に気持ちのいい道が続いています。クルマも通れるのが玉に瑕ですが、ここでスピードを出すアホはさすがにいないでしょうから、まあよしとしましょう。木洩れ日の射す、暑い日にはちょうどいい道。
8.古墳北側の道.jpg
9.古墳を望みながら.jpg

この道をとろとろと、ゆっくり歩きます。
住宅街の道を過ぎ、やがて履中天皇陵の正面へ。隣りの広い道路は泉北1号線といい、大阪南部の幹線道路でクルマの走行の絶えない道路。そんな道路のわきに履中天皇陵古墳はあります。
10.着いたぁ~(1017).jpg

それにしても、こんな大きな古墳のすぐ隣りの家というのはどういう感じなのでしょうか。両脇の家とも大きな屋敷でしたが、一度尋ねてみたいものです。
ただ、百舌鳥・古市古墳群が目論見通り世界遺産に登録されたら、大変なことになりそうな気はします。

さて履中天皇は第17代天皇。先般から名の出ている仁徳天皇(第16代)の第一皇子、古市古墳群にある応神天皇(第15代)の孫にあたられる方です。18代の反正天皇の陵はもう少し北にあり、19代の允恭天皇の陵は近鉄南大阪線・土師ノ里駅のすぐ北と、この5代の墳墓はすべてこの地域にあることになりますね。
11.拝所.jpg
12.宮内庁看板.jpg
13.履中天皇陵古墳.jpg

さて、次はどこへ行こうと考えて、まずは仁徳天皇陵の方向に戻ろうと歩き始めます。もっと東ニサンザイ古墳方面は今回は諦めました。歩くにはちと遠いな、と。次回の楽しみにおいておきます。

来た道を戻ると左側に七観音古墳。見たとおりの円墳。
14.道を戻って七観音古墳(1).jpg
15.同じく(2).jpg

ということで、妻の希望で堺市都市緑化センターで山野草などを見学して、JR阪和線沿いを北へ。
16.堺市都市緑化センター.jpg
17.山野草を販売中.jpg

関空特急はるか通過し、鉄ちゃんよろしくそれを撮影したりしていると[カメラ]、陪冢の長塚古墳が派出所の手前に。この古墳、一見小さく見えますが、実は奥行きが深い。見た目以上に大きな古墳です。
18.線路の脇。はるか走行中.jpg
19.倍冢あり.jpg
21.案内板.jpg
20.ガイドには「長塚古墳」と.jpg

そのすぐ北にあったのはJR百舌鳥駅。ここにも立派な案内板があり、数人の外国人観光客が見入っていました。
23.結構詳しい案内.jpg
24.現在地と仁徳天皇陵.jpg

私たちはここを皮切りに仁徳天皇陵を、時計と逆回りにぐるっと廻るコースに行きます。(上の地図の赤い点線部分
ここでこれから回る仁徳天皇陵と、先ほど歩いた履中天皇陵の航空写真を。

[右斜め下] これは手前が仁徳天皇陵。この画像で百舌鳥古墳群のほぼすべてが見られます。
72.手前仁徳天皇陵.jpg

[右斜め下] こちらは手前が履中天皇陵。ふたつの陵の間にある緑地が堺市民のオアシス、大仙公園。
73.手前、履中天皇陵.jpg

巨大な古墳の形状や堀の様子などは間近を歩いても感じられず、やはりこういう画像を見ないとその大きさ、規模は目ではわからない。逆の見方をすると、これらの古墳を築造した豪族、土師の技術力の高さは驚嘆すべきものといえるでしょう[がく~(落胆した顔)]

【つづく】

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古市古墳群を歩く(その3) [百舌鳥・古市古墳群]

お弁当でお腹を満たした後は、羽曳野市役所の南にある古墳へ移動。わずか2~3分で到着したのが向墓山(むこうはかやま)古墳。これはその案内板。この古墳の南にある墓山古墳の倍冢です。
52.向墓山古墳案内板.jpg
53.陪塚ですね.jpg

墓山古墳。これも大きいです。古市古墳群5番目の大きさ。古市古墳群は圧倒的に前方後円墳が多いのですが、この墓山古墳もその例に漏れない。古墳時代中期の典型的な古墳とのことです。
54.墓山古墳.jpg
55.その案内板.jpg

この小さな倍冢は野中古墳だったかかな? もう、ホントにすぐ近くに、普通に住宅があります。
56.浄元寺山古墳.jpg

野中宮山古墳。公園と隣接していて、桜並木は近所の方の憩いの場となっているそうです。
57.その案内板.jpg
58.野中宮山古墳.jpg

中央やや左のくびれは、前方後円墳の丸と三角の接点。こちらはその形が象徴的。
59.仲哀天皇陵古墳.jpg

[右斜め下] これはアイセルシュラホールという、藤井寺市の文化施設。もちろん「修羅」をイメージしたもの。というかそれそのもの。ようこんなものを建てたな、と考えて調べてみたら、やはりバブルのあだ花でした(苦笑)。・・・・4枚目の全体像はwikipediaより拝借。
60.アイセル修羅ホール.jpg
61.よくもまあ.jpg
62.こんなもん作ったもんだ.jpg
77.アイセルシュラホール.JPG
63.修羅の使い方.jpg
64.巨大古墳の類型と変遷.jpg

ここでトイレなどをお借りしつつ、次の割塚古墳へ。この古墳ウォークもそろそろ最終盤に入りつつあります。
65.陪塚の割塚古墳案内板.jpg

で、最後のハイライトは仲哀(ちゅうあい)天皇陵古墳。ここは古市古墳群3番目の大きさ。仲哀天皇は、(その2)で紹介した応神天皇のお父上。つまり、仁徳天皇の祖父にあたるお方です。
66.中哀天皇陵古墳.jpg
67.その案内板.jpg
68.宮内庁案内.jpg

前方後円墳のあのくびれが周囲の散策道から伺えます。このカーブも古墳好き垂涎らしい。これは古墳西側の画像です。くびれの箇所がよくわかりますね。
69.カーブが美しい.jpg

少し歩いて辛國(からくに)神社に到着。裏から入ったので本殿まではすぐ。
70.辛國神社.jpg

藤棚の藤の花がほぼ満開でした[ぴかぴか(新しい)] この薄めの紫色・・・・上品でよろしいですね~[るんるん] 藤の花には個人的な思い入れがあって、私は大好きなのです。
71.藤棚がきれい.jpg
72.藤の花.jpg
73.稲荷さん.jpg

この鳥居。大きな特長があります。わかりますか? 私は言われてみて初めて、ははぁ~~と納得。
(もっとも普段はそんなにまじまじと見ないけど・・・・(^^;)
74.この鳥居が凄い.jpg

それは、左右とも木を接いでいること。見事な出来栄えとでもいいますか、結構自然な感じでした。宮大工さんの腕、おそるべし。
75.接ぎ木されてます(右の柱).jpg
76.左の柱.jpg

そしてこの参道は大阪みどりの百選というものに選ばれ、それ以来参拝客が増えているそうですよ(No.63)。
http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/25974/00195639/hyakusenn.pdf

このあとは葛井寺(ふじいでら)という西国三十三観音霊場第5番札所でもあるお寺がゴール。そのあと、近くの藤本雅一酒造醸でお酒を試飲~解散となりました。


8km+αの古墳巡りのウォーキング。歩いては止まって説明を聞き、の繰り返しでかなり疲れましたが、でも行ってよかった[わーい(嬉しい顔)] 普段は歩かない道を歩き、そこにあるのは知っていても何ら興味も抱かなかった古墳を知り、名前を教えられ、自分の生まれ育った土地にあらためて愛着を感じました。
一度歩いてみるだけで、本当に街の印象はガラッと変わります。クルマで通りかかって、「あ、ここを入ったらあの古墳に着くんだ」と思うだけでも全然違う。本当に行ってよかったです。

よし、次はGWの間に堺の百舌鳥古墳群を歩いてみるか[exclamation×2]
でも、調べてみると(古市古墳群にもあるらしいですが)古墳群巡り用にレンタサイクルもあるとのことです。しかも電動アシスト付き。これはいいな。天気のいい日に必ず行こう。

その際はまた紹介しますので、よろしくお願いします。

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古市古墳群を歩く(その2) [百舌鳥・古市古墳群]

土師ノ里駅~鍋塚古墳を後にし、次に向かったのは仲姫皇后陵(なかつひめこうごうりょう)古墳
前回の最後の画像で鍋塚古墳から臨んだのがこの古墳です。途中、咲いていればさぞかし見事だったろうと思わせる枝垂れ桜を過ぎ、数分で仲姫皇后陵古墳に着きます。近いですね~。たしかに「群」だわ。立派な堀ですが、古墳は堀を掘った土を盛り上げて造るのだそうです。
25.仲姫命陵古墳の堀.jpg
26.同案内板.jpg

次は古室山(こむろやま)古墳。ここは桜がとてもきれいで、実はバーベキューの穴場だったりする。この古墳も上に上ることができ、そこからの見晴らしはとてもよく、この日は霞みながらもあべのハルカスがよく見えました。
27.古室山古墳を上る.jpg
32.結構、急.jpg
33.なかなかにシンドイ.jpg
35.彼方に見ゆるあべのハルカス.jpg
36.古室山古墳案内板.jpg

この微妙なうねりが何とも言えない・・・・このうねりが古墳好きにはたまらないのだそうですよ。
34.この微妙なうねり.jpg

以下の満開の桜の写真は、ちょうど1週間前の3/31に撮影したものです。この1週間のずれがね・・・・残念でした[ふらふら]
28.1週間前の満開の桜(1).jpg
29.1週間前の満開の桜(2).jpg
30.見事でした、.jpg
31.本当に.jpg

次の衝撃的な古墳は赤面山(せきめんやま)古墳。今回の古墳ウォークで私が最も感銘を受けたといっても過言ではない[がく~(落胆した顔)] 古室山古墳とほぼ隣接しています。いわゆる倍冢(ばいちょう)。37.赤面山古墳.jpg
38.衝撃的です.jpg

冒頭に「高度経済成長時代に潰された古墳がある」と書きましたが、実はこの古墳はその時代を生き残った古墳。何と高速道路の真下にあるのです。この小さな陪冢が生き残った理由は、古墳として登録されたのが昭和31年で、高速道路(西名阪自動車道)が制定されたのは昭和37年(開通は昭和44年)だったという歴史に他なりません。
道路を作るにあたってここのみ橋脚が作られず、スパンが長く取られています。もちろんもう一方の側には橋脚があります。これって、すごくお金がかかることなのです。
また側道も、古墳を避けるためにこの部分だけが出っ張らざるを得ず、こんな線形を取っています。
39.側道を曲げさせました.jpg

この側道は私も何度も走ったことがあり、何でこんなトコにカーブがあるんや?と常々疑問に思っていました。これで長年の疑問が解けました。この古墳はパッと見は工事で出た土を盛ってあるだけとしか見えないので、まさかこれが古墳とは思いもしませんでした。ただ、よ~く考えてみれば、工事で出た盛り土なんて撤去すれば終わりの話で、わざわざ道を曲げさせてまで、橋脚を飛ばしてまで残すほどのものではありません。そこには何らかの深い意味があるはず、くらいのことはちょっと考えればわかるものなのに・・・・ダメですね、何も考えないってのは。反省しました[もうやだ~(悲しい顔)]

大鳥塚古墳。稜線の微妙なカーブが美しい前方後円墳です。さきほどの古室山古墳と同じですね。
40.大鳥塚古墳の….jpg

41.微妙なカーブが美しい.jpg
42.大鳥塚古墳案内板.jpg

さて、これが本日のハイライト、古市古墳群最大の応神天皇陵古墳です。前回紹介した仁徳天皇のお父さんの古墳。面積では仁徳天皇陵に譲りますが、積み上げた土の量は仁徳天皇陵を上回り、見方を変えればこちらこそが世界最大の墳墓であるのです。世界でも五指に入る大きさだったと記憶しています。

ちなみに仁徳天皇のご母堂=応神天皇の皇后は、この稿の最初に紹介した仲姫皇后です。このお三方は、日本、いや世界屈指の墳墓に祀られているのだと思うと感慨深いものがあります。そしてその力の大きさも。43.古市古墳群最大.jpg

44.応神天皇陵古墳.jpg
46.応神天皇陵案内板.jpg
47.その一部と現在地.jpg

宮内庁の事務所もありますよ~(ちなみに陵墓脇の宮内庁の事務所は全国でも6か所しかないそうです。これはその内のひとつ)。
45.宮内庁の事務所もある(全国6か所のひとつ).jpg

そしてこんな川の脇の散歩道を歩き・・・・
48.川沿いを歩く.jpg

花などを愛でながら・・・・49.きれいな花の木.jpg
50.これ、何の木?.jpg

相当な大きさの応神天皇陵の外壕も見学して・・・・51.応神天皇陵古墳外壕外堤案内板.jpg

昼食は羽曳野市役所にて。大きな会議室でも借り受けているのかと思いきや、あにはからんや、外での食事でした(持参したお弁当)・・・・。正直寒かった[ふらふら]

【つづく】

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古市古墳群を歩く(その1) [百舌鳥・古市古墳群]

4月7日土曜日。
藤井寺市の観光ボランティアが主催する、古墳巡りのウォーキング会があると聞き、妻と二人で参加してきました。一度に披露するとかなり長くなってしまいますので、3回に分けて紹介したいと思います。
3.チラシ(上).JPG
4.チラシ(下).JPG  


当日は朝9~10時の間に受付とのことで、「間に合うたらエエわ」とのんびりと家を出た私たちは9:30過ぎに集合場所である道明寺天満宮の境内に到着。ちょうどすぐ前で先着順で貰えていたタオルがなくなってしまい、ちょっと残念な思いをしました(ーー)。
5.道明寺天満宮へ.jpg
6.集合場所.jpg

200円/人の参加料を支払って受付を終え、約15人ほどで設定された班単位で、10時前に集合場所兼最初の案内地である道明寺天満宮の案内から古墳巡りはスタートしました。

この日の天候は前日までと打って変わって非常に肌寒く、暑さ対策を施した服装で参加した私には結構堪えました。ジャージではなくGパンならもっとマシだったし、上に羽織る服もジャケット状のものにしておくべきでした。薄手のダウンを着て参加している人もいたくらいですから、私の服装は完全に選択ミスでしたね(TT)。結局、常に寒さと戦うような1日になってしまいました。

ここで百舌鳥・古市古墳群について簡単に説明します。
皆さん、世界で最も大きなお墓って、①誰のもので ②どこにあるかご存知でしょうか?

・・・・・・

ご存知の方も多いと思いますが、答えは
①仁徳天皇
②大阪府堺市
です。

そのお墓、仁徳天皇陵は百舌鳥古墳群の中核をなし、その仁徳天皇陵から東へ約10km行ったところにあるのが、今回紹介する古市古墳群です。そして私は、この古市古墳群を含めた南河内で生まれ育ちました。今もその南河内に住んでいます。
古市古墳群には、築造に必要な土量が日本一を誇る応神天皇陵古墳をはじめ、多くの古墳が残っています。少なくとも130基の古墳が6世紀中ごろまでに作られたそうですが、現在ではその多くが、「保全」という認識が形成されるまでのいわゆる高度経済成長時代に潰されて道路や住宅になりました。(その証拠となる古墳があとで出てきます)

大阪府の中の百舌鳥・古市古墳群と、それぞれの古墳群の大まかな位置関係。
ちなみに、百舌鳥古墳群の中の、「三国ヶ丘」とある駅の西側にあるのが世界最大の墳墓、前述の仁徳天皇陵です。
1.大阪府の中の百舌鳥・古市古墳群.JPG
2.百舌鳥と古市の位置関係.JPG

さて古墳巡りです。
ちなみにこの行事は、平成31年度の世界遺産登録を目標としている「百舌鳥・古市古墳群」の中の、藤井寺地域の古墳を中心に、観桜とともに歩き巡ることを目的とするものです。すべての古墳を廻るのではなく、徒歩コース内の選ばれた古墳巡りといった位置付け。

スタートは前述の道明寺天満宮。学問の神様でもある菅原道真を祀るこの社は、南河内地域に住む学生、受験生の多くが訪れるところ。春は梅の名所でもあります。

[右斜め下] これは「落ちない梅の木」とのことで、その名も常成梅。多くの合格祈願のおみくじが括り付けられています。「落ちない」梅の実の生る木ですからね。
7.落ちない実の梅の木.jpg
8.これがその木.jpg

ね、実が生っているのがわかるでしょ(ピントは1個にしか合っていませんが・・・・)。
9.その実.jpg

こちらは「修羅(しゅら)」のレプリカ。「修羅」とは、大きな石(石垣の石など)や大木などを運搬する道具のことで、そりの一種。築城の様子などを描いた絵にはまず間違いなくこの修羅を見ることができますね。
10.修羅のレプリカ.jpg

出土した「修羅」の案内板。出土した昭和53年4月というのは、私が高校生になったばかりの時期です。大きな見出しとともに新聞にでかでかと掲載されていたのが、何となく記憶に残っています。
11.修羅の案内.jpg

さて次は道明寺~菅原道真の叔母が住職で、はるか彼方の太宰府に落ちる際に立ち寄ったお寺です。今は散ってしまっていますが、枝垂れ桜の花がとても美しいとのこと。12.道明寺.jpg
13.道明寺縁起.jpg

山門の上には鐘撞きがある、とても珍しい構造。14.山門を裏から見ると….jpg
15.鐘撞きの木がある珍しい構造.jpg

境内に残る桜[かわいい]16花が咲き残る.jpg

花は散っていますが、この椿の木はボランティアのガイドさんお薦め。
この椿の木の葉の先端が金魚の尻尾の形をしており、そのため「金魚椿」と呼んでいるのだそうです。17.椿の木ですが.jpg
18.先端が金魚の尾のよう.jpg

土師ノ里駅前。
「土師」は“はじ”と読みます。古墳時代は、その設計の第一人者として名高い一族。現代では“はぜ”という苗字で残っています。また堺には土師町という地名もあります。
駅名はそのものずばりで、この域内に「土師」という苗字を持つ人々が住んでいたのでしょう。だから「土師(はじ)ノ里」。
改札横のスペースは整備され、古墳の説明コーナーとなっていました。ちなみに現在地は真ん中の写真の「」の位置。
19.古市古墳群の案内.jpg
20.現在地は「i」の場所.jpg
21.すなわち近鉄・土師ノ里駅.jpg

実はこの土師ノ里駅、小高い築山のような場所に造られています。1F部分に改札口があり、プラットホームがあるのは切り割りの底のようなB1F。これって、もしかすると何らかの古墳を切り割って作った駅かも、と思わせるような位置関係にあるのは間違いありません。
駅の真西には、陪冢(ばいちょう)である鍋塚古墳。上に登れます。ホントに道路の脇。この道、旧道とはいえ一応国道(170号)です。22.道路の脇の鍋塚古墳.jpg
23.鍋塚古墳案内板.jpg

向うに見ゆるはこれから行く仲姫皇后陵古墳
24.鍋塚古墳から仲姫命陵古墳を望む.jpg

さて陪冢(ばいちょう)とは何ぞや? 実は私もこの時に初めて知った言葉でした。実際、「ばいちょう」と入力しても変換できない言葉です。一度試してみてください。
調べてみると、「コトバンク」には「倍塚」とあり、
『陪冢とも書く。古墳の一種。大きな古墳のそばにあたかもそれに従うようにつくられている小さい古墳をさす。しかし,陪塚と呼ぶ場合には,規模,内容などの点で主体となる古墳となんらかの関係がなければならず,ただ位置が近いというだけでは判断できない場合もある。これらの陪塚には,死者を葬ったと思われるもののほかに,器物だけを埋納したと思われるものもある。』
とあります。
なるほど、これから巡る古墳にはたしかに陪冢がたくさんありました。この後説明していきますね。

【つづく】

※「倍塚」か「倍冢」か、読みも意味も同じなのですが、この記事では案内板や行政が発行したパンフレットに従い、「倍冢」と記すようにします。でもときどき「倍塚」と書いていることがあるかもしれませんが、その時はごめんなさい。

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