移動とか吉田うどんとか・・・ [寄り道]
今回は山梨行きの旅館以外の行動についての報告です。写真40枚以上使ってます(笑)
まずは初日の移動から。大阪南部の我が家からは西名阪~名阪国道(R25)~東名阪~伊勢湾岸自動車道~東名高速~新東名高速を使って静岡(新富士IC)に出、そこから北上して山梨を目指しました。
これは名港トリトンと言われる名古屋港を跨ぐ海上斜張橋梁群。私が名古屋支店勤務中に竣工した巨大吊り橋です。画像は白と青ですが、もうひとつ、赤色の橋もあり、その3橋を総称して「名港トリトン」といいます。
あ、「名港」は「めいこう」と読みます。東海3県の住民は名古屋駅のことを「名駅」=「めいえき」といいますが(実際にそういう地名も存在する)、まあ、その港版ですね。
そして、三ヶ日JCTから新東名に接続。みかんで有名な地域ですね
新東名は東名に比べてクルマの量が圧倒的に少ない。ガラガラと言ってもいい。これは間違いなく沿線人口の差でしょう。車線は広く、とても走りやすい道なのにもったいない・・・・というのは、新東名の存在意義を無視した見方らしいです。新東名は東名が災害等でダメになった場合の代替道路。逆もまた真なり。先日の大雪のときは新東名はアウトでしたが、東名は生きていた。どちらかが機能していることが最も重要なのだそうです。閑話休題。
新東名を走行中、こんなトラックを発見。スピッツのローディーですね こういうトラックが数台あって、コンサートの資材を次のコンサート会場に運ぶのです。コンテナの内部は楽器やスピーカー、大道具がぎっしりと詰め込まれている、と聞いたことがあります。
さてどんどん行きましょう。新東名を新富士ICで降りた後R139を北上、精進湖からR358を経て石和温泉に向かったのですが、その途中、白糸の滝に立ち寄りました。流れ落ちるこの大量の水、川ではなく湧水なんですよ
実はこの白糸の滝、私は中学3年生の時に修学旅行で来ているんです。ということは私と小中学校の同級生である妻も来ているはず(本人はまったく記憶にないそうですが)。だから、え~っと・・・、37年ぶりの白糸の滝訪問でした
次に立ち寄ったのは、道の駅 朝霧高原。
なめこがとっても美味しそうだったんですけど・・・・
牛乳を飲みました。(なんや、それ)
はい、時は流れて次は2日日。
チェックアウト後にクルマを宿の駐車場に停めたまま立ち寄ったのはモンデ酒造さん。もちろんワインの醸造元です。場所は【ココ】(←クリックどうぞ)。工場は工事中でした。工場内はお休み中でしたが、試飲はOK。他の観光客さんに交じって・・・・
ウチの奥さんも結構な飲みっぷりで・・・・私? 飲めませんがな ぶどうジュースでお茶、いやジュースを濁しました。
記念にこのワインを買って帰りました。1,500円だったかな? 結構美味しいワインでしたよ。もう1~2本買っときゃよかったか、と妻と話したくらい。
石和温泉からはR137(御坂みち)を経て、富士吉田市を目指しました。2泊目のお宿に行くには少々遠回りになるのですが、あえてそちらを目指した理由は、有名な吉田うどんを食べるため。
その途中、こんな巨大な建造物を目撃しました。
私のクルマのカーナビには出ていない。全面が覆われていて道でもなさそう・・・・なんだ、これ?
・・・・ これ、おそらく、とゆーか、間違いなくリニアの実験線でしょう。いずれ本線に昇格するのでしょうけど。
さてクルマを走らせ、高度を上げていきます。途中にスキー場もありました(カムイ御みさかキー場)。先ほどの画像でもありますとおり、残雪はまだまだ根深トコ
※帰宅後にカムイみさかスキー場のHPを見てみると、謳い文句が「首都圏から約80分!」とありました。そんなトコまで行ってのか、と何か不思議な感じです。
しかし、河口湖は霧に沈み、期待の富士山は望むべくもなく・・・・
妻は犬の〇〇を蹴飛ばしてしまい・・・・(^^;
そして吉田のうどんのお店に到着です。実はこのHP(→http://yoshidaudonnavi.client.jp/)を参考にかなりお店を検討し、ココにしようと決めた店もあったのですが、ウチのカーナビがそのお店の正しい場所を示してくれず、結局慶山さんでもらったガイドブックに掲載されていたこの店、べんけいさんに決めました。
頼んだのは、もちろんおすすめNo.1の吉田のうどん。あとから入ってこられたお客さんも2組ありましたが、全員が同じ注文でした。そりゃあ、そうなりますわな。
このメニュー、ひばりが丘高校のお嬢さんが作られたそうです。画像をそのまま載せるかどうか迷ったのですが、悪いことではないし、そのまま掲載させていただくことにしました。前述のHPの制作者がひばりが丘高校。よほど地元と密着した高校なんでしょうね。立派なことです。ちなみにそのHPも、とてもよくできています。
さて吉田のうどんです。器は違いますが、具だくさんの鍋焼きうどんのよう。
うどんを覆い隠すように盛られた具は、豚肉、ほうれん草、キャベツ、ニンジン、わかめ、大きなかき揚げ、そしてネギ。
これだけで満腹になってしまいそうだ(笑)
この日の夕食を考えるとちょっとボリュームがあり過ぎだったんですが、出汁は関西に近いあっさりした味で、私たちにはちょうどよかったです。
麺は極太。そしてこれが吉田うどんの最大の特長なのですな
うどんは・・・・普段から讃岐系のうどんを食べ慣れている関西人の私には、正直「1回食べたからもういいや」という感じでした。麺がぼそぼそとしていて、コシがないんです。スーパーで売っている太麺のうどんに近い。これが吉田うどんの特長なのであれば、私はもうじゅうぶん。単純に好みの違いなのだから、これはもうどうしようもないです。否定はしません。
これは黒胡麻と唐辛子と山椒を練った店オリジナルの調味料。見るからに強烈そうな予感がしましたので、最後の方で少しだけ投入。・・・・予想通り強烈でした。一番効いていたのは山椒。口中にぶわ~っと山椒の香りが立ち上がり、これは大量に入れるものではないと思いました。味変にはいいですが、入れ過ぎるととんでもないことになりかねないので、十分注意が必要です、間違いなく。
そして、こんな道(これでも国道)を通過してこの日のお宿に到着。それは次回に紹介します。もう大半の方はお分かりだと思います。5年ぶりの再訪宿。行きたくて行きたくてたまらなくて、そしてようやく実現した再訪宿
それは次回に報告するとして、では、最終3日目の移動について。
しばらくR52を下って新清水ICから新東名に乗り、さっそく立寄ったのが清水PA。とゆーか、NEOPASA清水と言います。このPAからは富士山が見えるらしいのですが・・・・結局3日間、裾野すらうかがえませんでした
静岡という土地柄か、バイクが展示されていました。 ん? でもKAWASAKIはたしか明石じゃなかったか?(昔、営業で行ったことが・・・・)
クルマまで展示されていました。
店内で焼いているパン屋さんも。パン好きの妻はここでパンを購入。
さすが地元、こんなパンもありました。
クルマは西に向けて順調に走行。最後の休憩所としてクルマを停めたのは、かつて住んでいた愛知県弥富市に隣接する伊勢湾岸自動車道、湾岸長島PA。巨大なジェットコースターを擁する遊園地の脇にあります。そしてそこには足湯がありました。
黒い湯の華も浮いていました。わかりますかね~?
さ、次回は2泊目の宿です。・・・・やっぱりよかったです 期待は裏切られることなく、さらに好きになりました。
海上自衛隊@舞鶴 [寄り道]
今日の夕方、一斉に携帯電話が鳴り出しました。いったい何事かと思ってケータイを見てみたら、「緊急地震速報」。
特に揺れてもいないし、
「なんじゃ、これ?」
「誤報とちゃうの?」
結局誤報でした。まあ何ともなくてよかったです。
さて、舞鶴の記事に戻りましょう。
先に昼食を食べた私たちが向かった先は海上自衛隊の舞鶴地方総監部。
そこには、海軍記念館という建物が敷地内に建っているのです。建物は【これ】(←ピンポイントで表示しています)。
名作『坂の上の雲』では、脇役ながら存在感抜群の連合艦隊司令長官、東郷平八郎。彼がその役職に就く前は、ここ舞鶴鎮台の司令官でした。海軍記念館には東郷ゆかりの品物も展示されています。日露戦争は1904年。今からわずか110年ほど前のことでしかありません。今でこそ侵略戦争の走りのように言われていますが、その時の国際状況を考えると、帝政ロシアの南下を防ぐための、完全な自衛戦争でした。
で、その海軍記念館。中は撮影禁止でしたので、外観のみ。
ちょうど団体さんが、それも同時に二組も来ており、とにかく暑かったですな(^^;
芝生の柵が砲弾型になっていました。実際の砲弾かどうかはわかりません(笑)
ここを見たあと、クルマで1分くらいのところにある自衛隊の桟橋で、艦船の見学会をやっていました。
先の海軍記念館もそうですが、土・日・祭日のみの見学が可能となっているようです。
場所は【ココ】(←クリックどうぞ)。先の海軍記念館は、この桟橋の左下(西南)にあります。
受付で住所、名前、クルマの番号を書いて桟橋へ。結構な人出ではありました。
濃い灰色に統一された艦船、近くで見ると凄い迫力です
皆さん、これがイージス艦。艦名はみょうこうです。
最近、隣りのK国がやたらとケチをつける旭日旗。これは決して軍国主義を表す旗ではなく、昔からある日本の第二国旗とでもいうべき旗。奴らにケチを付けられる云われは何らありません
「もうエエ加減にせえ、ボケが」と私は言いたい
おっと、ブログの趣旨から離れちゃいましたね(^^; どうも最近腹に据えかねることが連続して起こるものですから
では、私たちの国を守ってくれている海上自衛隊の艦船の画像の続きを。
私は軍オタでもなんでもないですし、単にこの国が好きな普通のオヤジですが、さすがにこういう艦船を間近で見ると、グッとくるものがあり、気分が引き締まるというものです。
ここがイージス艦の一番重要な箇所なんですよ。
「イージス」とは『盾』のこと。日本国を守る盾なのです。
補給艦ましゅう。インド洋に派遣されていた艦だったと思います、たしか。
これは何でしょう? 見たところ練習艦?
海上自衛隊の艦船をこんなに間近で見たのは生まれて初めてのことでした。というか、画像以外で見たことがなかった。私にとっては本当にいい機会だったと思います。・・・・妻はつまらなさそーにしてましたけど、見て見ぬふり(笑)
丹後ジャージー牧場 ミルク工房 そら [寄り道]
この記事、カテゴリを「寄り道」にしていますが、これぞまさしく寄り道、もうすぐ宿に着くというのに、看板を見掛けた妻が
「寄ってみようよ」
しゃーないなー、ったく・・・・・
で、ステアリングを右に切りました。行った先は・・・・
かなり見えにくいですが、丹後ジャージー牧場 ミルク工房 そらさん。
場所は【コチラ】になります。宿まであと10分ほどの距離。
お店らしき建物に歩いていくと・・・・右側で、牛さんがお出迎えです。
ここで牛乳を殺菌しているのでしょうか。
ではお店の方に行きましょう。
お~、なかなか美味しそうなものが並んでいます。当然ながらすべて産地直送ならぬ産地直結。
で、結局選んだのは、生乳たっぷりのソフトクリーム
濃厚でクリーミー、舌の上でさらっととろけて、とっても美味しかったんです、これが。わざわざ寄った甲斐がありました。
私が感心した、これはソフトクリームについていた木のスプーン。
こんなに薄っぺらいのにちゃんとRがついて、柔らかいソフトクリームを掬いやすくなっているのです。
どうやって成型しているのでしょうか。大したものです。
ソフトクリームは、併設されたカフェでいただいたのですが、部屋の端には暖炉までありました。今は暑くとも冬場は雪が降り積もる地域、シーズンでは大活躍なのだろうと想像します。
さ、今度こそ、宿に向かうとしましょう。予定はチェックイン即の15時狙いでしたが、この時点で15:30を少し過ぎてしまいました。
空の駅 あまるべ [寄り道]
餘部鉄橋。この名前は、JRの列車落下事故であまりにも有名です。
あの事故は昭和61年(1986年)12月のこと。もう30年近くが経ったことになりますが、まだまだ記憶に鮮明に残っています。列車が海からの風に煽られて鉄橋から落ち、下にあったカニ加工工場を圧し潰して、車掌を含む計6人が亡くなられた痛ましい事故でした。(参考:Wikipedia)
そして、今。
鉄橋は架け替えられて「鉄橋」ではなくなりました。
同時に鉄橋の一部が残され、「道の駅」ならぬ『空の駅』として復活。
今回、それを見学に行くことにしたのでした。場所は【ココ】(←クリックどうぞ)
ちなみに「道の駅 あまるべ」もちゃんと存在し、空の駅の駐車場として活用されています。ただし規模は小さく、あの程度なら連休なんかではすぐにクルマが道路にあふれることでしょう。盆休みに向けて現在拡張中と思われます。
これは余部道路(R178バイパス)の降り口から撮った1枚
こういい方をすると何ですが・・・・鉄橋の持つ、どことなくはかなげな風情はなくなってしまったようです。
替わりに架けられた橋は、高速道路の橋梁と何ら変わらなくなってしまいました
鉄橋の一部を流用したカンバン(?)が道路脇に据え付けられていました。見るからに頑丈そうです。
ちなみに「あまるべ」は、「餘部」でも「余部」でも同じ。本文では両方を適当に使っています(笑)
下の駐車場から見上げるとこんな感じ。鉄橋はもちろん再塗装を施されており、新品のようです。
下部はまだまだ整備も半ば、という感じでした。これなんぞは近い将来休憩所となるのでしょう。暑い中、お仕事ご苦労さまです。
さて、では早速「空の駅」に行くとしましょう。
ちなみに「空の駅」は、ここと千葉県成田市の風和里しばやまのふたつしかないようです。
あ、妻は見上げる駅の高さにビビッて、海を見に行った後、下の道の駅で涼んでいました(^^;
空の駅には、本当に細い道をたどって、民家の軒先をかすめるようにして上っていきます。
まるで登山やがな・・・・
道の駅から歩くこと約10分、ようやく空の駅 あまるべに到着です。
山陰本線・餘部駅は、もちろん現役の駅です。
右の線路はもちろん現役。左は・・・・線路や枕木はホンモノですが、実は?
海の景色はいいです 宮崎 駿の映画に出てきそうな風景
旧線路の周りを整備して歩道にしています。
ちょうど大阪からの日帰り旅行のバス(阪急トラピックス)が着いたところで、普段はおそらく人影も少ないであろう空の駅は、時ならぬ年配の方々の嬌声に包まれていました。
それにしても・・・・恋人たちの聖地云々でもないのに、いきなりこういうことをしているバカがいる
ボカさずに、敢えて曝してやることにします 恥を知れ、ドアホ
フェンスの向こうにはまだ鉄橋が延びていました。新しく作られたコンクリート製の橋梁が左にカーブをして、鉄橋の線路の直線上につながっているのがよくわかります。
足元を覗くと・・・・
私は東京スカイツリーを連想しました。高さは比ではありませんが(^^)
このイタズラはどうなんでしょ・・・? 結局午前9:00~午後9:30?
でも、あの通路は夜間に上り下りするのは危険だと思いますよ。周囲の民家にも迷惑がかかるでしょうし。
さて、鳥取方面を振り返ります。
この砕石、実は接着剤で地面(?)に貼り付けられているのです。すべてではなく、浮いている石ももちろんありましたが。それにしても、いったいどれだけの接着剤が必要なのでしょうか。気が遠くなりますわ
このアングル、好きです
ちょうど2両編成の電車(ディーゼル車両)がのんびりと走っていくこところでした。餘部駅13:59発浜坂行。
橋梁の下部にあった慰霊碑。
長らく駅舎に建っていたのであろう案内板。今もまだ現役を続けています。
最後のショットは、ワ・タ・シ。阪急トラピックスの添乗員さんに撮っていただきました
さて、ではいよいよ2年前のリベンジ宿に向かうとしましょうか。今夜は海の幸だぁ~(予告しときます^^)
叡福寺@南河内郡太子町 [寄り道]
聖徳太子の名前については知らない方はないと思いますが、ではその御廟所(つまりお墓ですな)がどこにあるかご存知の方はおられるでしょうか。
実はここ、大阪府にあります。その名も南河内郡太子町。場所は【ココ】。叡福寺(えいふくじ)というお寺にそれはあります。ちょっと行けばもう奈良県という所。町名の由来も、間違いなく聖徳太子なのでしょう。
今回、とあるところへ行く前にちょっと寄ってきました。
前の道路の歩道橋横断歩道にあったもの。
まさか聖徳太子も、はるかな後年、ランドセルを背負わされるとは思ってもみなかったことでしょう(笑)
1週間前なら桜も満開だっただろうな~ 土日の爆弾低気圧で大半が散ってしまったようです。
この奥が御廟だそうです。
さて、ひとつめの目的地までの道にはきれいな花が咲いていました。これ、何の花でしょ?
道路脇には幟がはためいています。
何の幟かというと・・・・
竹内街道(たけのうちかいどう)敷設1400年
日本最古の官道といわれ、シルクロードの終着点でもある竹内街道。
それが聖徳太子のお墓のすぐそばを通っているのですね。竹内峠を越えるとそこは奈良県。峠を越えた旧當麻町は司馬遼太郎の生誕地でもあります。
(それにしても何をもって敷設1400年としているんでしょう? 西暦613年って?)
ここら辺りは「掘れば何かが出る」とも言われる地域で、いわば歴史の宝庫。どこぞの小学校では新しい校舎を建てるべく土地を掘り起こしたら立派な銅鐸が出土して工事が1年以上遅れた、という話もあるほどです。
のどかでのんびりしていて、とてもいいところでした。
伊根の舟屋と国道178号線 [寄り道]
さて、宿のロビーで清算を済ませてコーヒーブレイクをしたあと、当初の予定より約1時間遅れの10時半頃に出発
走るは丹後半島を周回する国道178号線(以下、“R178”)。ところがこれがなかなかクセ者の道でして・・・・(^^;
これは途中で撮った写真ですが、わかりやすいので使います。ボクの泊まった夕日ヶ浦温泉は、この写真の左側、切れたところにあります。
はじめは運転を妻に任せてボクは助手席でカメラを構えていました。
気持のいい海沿いの道が続きます。
ずっとこんな道が続くのだろうと思いきや、道は山の中へ。小さな岬に道は造らず、海岸線を走るより山の中へ道を求めたようです。岬は切り立った崖が多く、こちらの方がはるかに安上がりでしょうしね。それに、冬場は日本海からの強烈な風が吹きつける地域ですからね。
ただ、センターラインのないカーブの多い道が続きます。運転に自信のない妻は、はやグロッキー気味
山の中はイマイチなんですが、海が見えると気持ちいいんです。開放感がとくにね
時々、景色のいい場所に小さなパーキングが現れたりします。冒頭の地図はこの左側の画像。
ちなみにこの手前で運転は交替しています。
水が綺麗で、潜って何かを獲っている人もいました。
それにしても、一体どこから下に降りたんだ?
さて、何度も停まりながら走ること約1時間半。お昼の12時頃に目的地のひとつ『道の駅 舟屋の里 伊根』に到着です。
ここは全国的に結構有名な地域で、海に面した家屋の一部が舟を格納するようになっている家のことです。NHKの朝の連続テレビ小説「ええにょぼ」の舞台になったことでも知られています(1993年)。
以下、道の駅よりの遠影を。高台にありましたので、見下ろすような画像になっています。デジイチを構えているお姉さんがいらっしゃいましたが、このときはそういうカメラが欲しくなりましたね
大型化した船はもはや舟屋には格納できず、外に停めざるを得ないということでした。
以下は、下に降りて小さな港(?)から撮ったものです。考えてみれば、人んちの裏庭を撮っているようなものでどうかとは思いましたが、ここはお許しくださいましm(_ _)m
まー、時間的には普通はここで昼食なのですが(この道の駅には、海の幸を味わえる店が2軒入っています。並んでいる人も)、朝ごはんをたっぷりいただきましたので空腹ではありません。それに、今回はどうしても行ってみたいCafeがありまして。
今からそこに向かいます。あと1時間強くらいかな?
最後に伊根~天橋立間のR178での2枚。本当にいい天気でした
次回、今回の旅行を締めくくる舞鶴のCafeでランチです。
植村直己冒険館と玄武洞 [寄り道]
さて、出石で腹一杯そばを食べた後、次の目的地、植村直己冒険館に向かいました。以前、和歌山のトルコ記念館、トルコ軍艦遭難慰霊碑に行ってきましたが、自分の中ではそれと同じくらい行きたかった所のひとつです。植村直己が活躍していた頃、ボクは高校の山岳部に所属しており、全く雲の上の人であり、かつ常に尊敬していた人でした。
彼がマッキンリーで遭難したときの衝撃は、未だに忘れることができません。
場所は出石の西側数kmの【ココ】。冒険館に隣接してグラウンドやテニスコートもあります。
画像処理をミスってしまって、すべて小さな画像になってしまいました。この後、結構迫力のある画像もあるのに・・・・ 情けない・・・・
入口への通路。クレバス(氷の割れ目)をイメージしているのだそうです。
館内には、彼が使っていたピッケルをはじめ、植村直己仕様のカメラ、ダウンジャケット、皮のズボンなど、遺品と呼べるものがたくさん陳列してありました。
博物館の例に漏れず、館内は撮影禁止。
ほとんど唯一撮れたのは以下の2枚。植村直己が使っていたというコンロとその説明書きです。
ま、写真が少ないのであんまり紹介もできません
お次は、ちょっと寄り道をして玄武洞公園へ。
皆さんは、玄武岩の玄さんというゆるキャラをご存知でしょうか。ここはその発祥の地とでもいいましょうか。約160万年前の噴火によって流れ出たマグマが冷え固まった際に形成された岩を見ることができる場所です。
よくわかりませんが、世界で初めて地球磁場の反動説が提唱されるきっかけとなった場所としても知られているそうです。
メインの玄武洞です。
次は青龍洞。実に美しいですね~、柱状節理 これを見ただけでも寄り道をした甲斐があったというものです。あ~、写真が小さいのが惜しい
沢蟹を発見。
近くに大きな川があったしね。この後でも見かけました。
次は白虎洞。
これは北朱雀洞。
最後に南朱雀洞。先の案内板にもありましたが、名前は古代中国の四神に由来しています。この四神の絵は、飛鳥の高松塚古墳、キトラ古墳の壁画にもありましたね。
公園内の紫陽花がきれいでした。